「お尻にさわる」

 先だって若い女性画家がFacebookに書いていた。

先生「〇〇さんっていう絵描き知ってる?(普通の絵に関してのお話の中で)」
私「知ってます! 母のお尻を触った人です!(*・∀・*)」
先生「あの人は誰でも触るの!」
私「知ってます!(*・∀・*)」
二世絵描きは親から碌でもない情報を聞いている。
〇〇さん、それでいて生前はとても愛妻家だったそうです\(^o^)/
回顧展見に行きましたが良い絵でした。

 なぜ男たちは女性のお尻にさわりたがるのだろう。そのことについて詩人の荒川洋治が「渡世」という詩に書いている。長い詩なのでその冒頭部分を。(以下「渡世」から)

風物詩といわれる
堅固な
「詩の世界」がある
それはいかにも暴力的なものであるが


たしかに
あちらこちらに
詩を
感じることがある
詩は
そこはかとない渡世の
あめあられの
なかにあるのだから


 「お尻にさわる」
 という言葉を
 男はひんぱんに用いる
 なかには言葉の領海を出て
 「少しだけだ、な、いいだろ」と女性に迫ったために
 ごむまりのはずみで
 渡世の外に
 追い出された人もいる
 「だめよ、何するのよ」「ちょ、ちょっと、よしてください!」
 と女性は
 いつの場合も虫をはらうように
 まゆをひそめるのだが


お尻にさわるのもいいが
お尻にさわるという言葉は
いい
佳良な言葉だと思う
あそこにはさわれない
でもさわりたい、ことのスライドの表現
のようでもあるが
そうではない
この言葉には
核心にふれることとは
全く別の内容が
力なく浮かべられている
若いすべすべの肌にふれ
「いのちのかたち」をたしかめたい男たちは
まとを仕留めたあとも
水が
いつまでもぬれているように
目をとじたまま お尻に
さわりつづける


  ぺたぺた。
  ちゅう。ちゅう。


「ね、うれしいんでしょ。これで、いいんでしょ。
でも、どうして、そんな顔になっていくの?」
(後略)

 荒川洋治は私の好きな詩人だ。かなり激しい詩も書いているが。

 

 

渡世

渡世