寺山修司『戦後詩』(講談社文芸文庫)を読む。これは最初、50年近く前の1965年に紀伊國屋書店から発行されたもの。当時寺山は29歳だった。天井桟敷を主催した寺山については、その『奴婢訓』を見たくらいで、映画は『草迷宮』『さらば箱舟』を見た程度か。演劇はスペクタクル、映画はブニュエルの亜流くらいに思って、あまり重視してこなかった。短歌は優れたものも多いが、一方剽窃に近いものもあり、双手を挙げて賞賛する気にはなれなかった(そう言いながら結構愛唱しているが)。天井桟敷の演劇が海外で評判が良かったのは、言葉に頼る芝居ではなく、スペクタクルを見せるのが主体なので、そのあたりが評価されたのだろう。だから、本書の広告を新聞で見かけたときも、特に関心を払わなかった。ところが毎日新聞の書評で、わが尊敬する詩人荒川洋治が絶賛していた(9月29日)。で、早速買って読んだ。講談社文芸文庫は少部数発行なので、254ページの厚さなのに1,365円もする。
まず荒川洋治の書評から。
詩人寺山修司(1935−1983)が1965年、29歳のときに書いた批評だ。ほぼ半世紀のいまも、これほど魅力的な詩論は日本に現れていない。「東京ブルース」(歌・西田佐知子)「ああ上野駅」(歌・井沢八郎)を語るだけではない。戦後詩人の「ベストセブン」に作詞家星野哲郎を挙げるなど、自在。ことばと社会をつないで、独自の批評を展開する。
本書には多くの詩が引用されている。あとがきに、「文中、長い詩を長いままで引用しておいたのは、この本が単なる私の批評(クリティーク)としてだけではなく、『詩集』としても読めるように考慮したからである」と書かれている。その数64篇。しかも詩の目次までついている。
戦後の多くの詩人の詩が紹介され、寺山の批評が続く。人生の隣りにある「直接の詩」に近いのは藤森保和の詩で、「彼の詩には公衆便所の落書を思想にまで高めようとする悲しい企みが感ぜられる」。
本当の詩人というのは「幻を見る人」ではなくて「幻を作る人」である。私がイメージということなではなく記号ということばを使ったのは、イメージがまだゼリー状の形になる前の心象であるのにくらべて、記号はそれを「とらえた」という証しだからなのだ。
として、「記号的現実の世界を訪ねるために」と長谷川龍生の詩「恐山」が紹介される。12ページ半192行に渡って引用されている「恐山」は最後に(後略)となっていて、これでも全体の2/3なのだ。
寺山は戦後詩の中心的だったグループ「荒地」の詩人たちに対しても「功罪」という言葉を使う。黒田三郎の詩「死のなかに」が引用され、山本太郎の「祈りの唄」が引かれ、「私は疑似悲劇的な多くの詩人に、なじみがたいものを感じた。それは、魅力的ではあったが、どこか冷たかった」と書く。
茨木のり子の有名な詩「わたしが一番きれいだったとき」を引用して、批判している。
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な街をのし歩いた私は、自分にとって自分はつねに絶対的な存在であり、相対的な存在ではありえないと考える。昨日の自分は、いわば影だ。昨日の自分は痛くもなければ快感も感じない。それは決して今日の自分とは比較できないものなのではないだろうか。(中略)他人との比較はべつだが「わたしが一番きれい」だと感じるのは、いつだって現在なのだ。
谷川雁の「東京へゆくな」も批判されている。その「東京へゆくな」から、ここに2行だけ紹介する。
あさはこわれやすいがらすだから
東京へゆくな ふるさとを創れ
寺山はこの詩に対して、魅力的でない、晦渋である、肉声が見えないと評し、「故郷を作るということが、この詩と同様にレトリックなしでは成立しないかもしれないことを示すような詠嘆につらぬかれている」と書く。
谷川俊太郎の詩が引用され、肯定的に評価される。
私は「いかに生くべきか」の詩が、はじめて「いかに死ぬべきか」にとって変るべき時がきたことを感じた。谷川俊太郎は、戦後詩史の上では人であるよりも前に事件だったといえるだろう。
私は彼のなかに強い詩人を見出す。それはあらゆる権力によらず、経済的な背景も集団の後押しも必要としない、きわめて不安定な「個人」の強さなのであった。
そして、詩壇が語られ、詩の効用について検討される。最後に「戦後詩人」のベストセブンが選ばれる。俳句と短歌と歌謡詩から1人ずつ。自由詩から4人。まず俳句では、西東三鬼、石田波郷、中村草田男、山口誓子の名前が挙げられ、西東三鬼が選ばれる。
短歌では、近藤芳美、葛原妙子、塚本邦雄、岡井隆の名前が挙げられ、塚本邦雄がいいのではないだろうかと言う。
歌謡詩では、星野哲郎か青島幸男かと悩んで、星野を選んだ。
さて、自由詩だが、黒田喜夫、谷川俊太郎、吉岡実をまず選び、もう1人を、長谷川龍生、岩田宏、田村隆一の中から誰を選ぶかで悩む。北村太郎と鮎川信夫にもちょっと魅力を感じている。結局、岩田宏を選んだようだ。
寺山修司の戦後詩に関する批評を読んで、少し寺山を見直してしまった。ただこれが書かれてからほぼ半世紀、詩人たちの評価もだいぶ変わっているに違いない。寺山が生きていたら、改訂版ではどのように書き直しただろうか。
- 作者: 寺山修司
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/08/10
- メディア: 文庫
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