佐野洋子『北京のこども』と『死ぬ気まんまん』を読む

 佐野洋子『北京のこども』(小学館P+Dブックス)と『死ぬ気まんまん』(光文社)を続けて読む。前者は佐野洋子の、1938年(昭和13年)北京で生まれて、1945年(昭和20年)北京を去るまでの7年間の思い出を書いている。それにしてもすごい記憶力だ。私だったら7歳までの記憶なんて、原稿用紙1枚で終わってしまう気がする。後者は癌が見つかり余命2年と言われてからの日々を書いている。幼少の頃と末期の頃だ。
 まず『北京のこども』から。私(著者)がいつまでも母の乳を飲むので、父が早くやめさせようと乳首に黄色いカラシを塗った。黄色いカラシがついているのを見ると飲むのをやめたが、カラシのついていないときは母の乳首をくわえていた。父は「しぶとい子だな」と言って、二つの乳房に墨でねずみの絵を描いた。私はよたよたと立ち上がり、タオルのはじを洗面器の水で濡らして母の乳房のねずみを消し乳を飲んだ。私が2歳のときだったか1歳半のときだったか覚えていない。「しかし、どってりと二つ並んだ母の乳房の上のねずみを、私はいつまでも覚えていた」と書いている。カラシのこととか、ねずみを消したこととかは、後年親から教えられたものかもしれない。しかし、「母の乳房の上のねずみを、私はいつまでも覚えていた」というから、それは彼女の記憶だろう。すごい映像記憶だ。
 その後も、子連れの女乞食を父が棒で追い払ったことや、弟が生まれたが33日で亡くなったこと、友だちが突然亡くなった思い出、幼稚園に入った兄について行き一人で帰ってきたこと、兄とのお医者さんごっこなど、これらがすべて7歳までの記憶なのだ。ある朝、家族と汽車に乗って北京を離れる。年譜によると、大連へ移り終戦後家族で引き上げることになる。
 『死ぬ気まんまん』は、『小説宝石』の2008年と2009年に掲載された「死ぬ気まんまん」と、2008年に収録した築地神経科クリニックの医師平井達夫との対談、それに1998年に『婦人公論』に掲載された「知らなかった」の3篇で構成されている。これがとても素晴らしかった。
 癌再発の告知を受け余命2年と言われるが抗がん剤は拒否する。友だちに着物を箪笥ごとあげる。佐野の覚悟がみごとだ。こんな風な最後を迎えたいと思う。対談で平井医師が言う。

平井  生物学的人生論から言うと、種族保存が生物の存在の第一目的だと思います。だから種族保存のためなら、遺伝子が何でもやってしまう。シャケが川を何百キロも上ってきて傷つくけど治る。そして子供を産む。これは、遺伝子のプログラムが産卵が済むまでは壊れても治す、壊れても治すとやるんですね。産卵が済むと、「はい、ご苦労さん」と言ってパッと遺伝子のプログラムが切れてなくなるんです。それでパタッと死ぬ。/人間も遺伝子がちゃんとやってくれるのは50から55歳ぐらいまでですね。

平井  ……ところで、佐野さん自身は体のどこにいるか、わかりますか。両目を取っても、自分は自分ですよね。両手足がなくなっても、胃や腸がなくなっても、心臓が移植されても自分は自分じゃないですか。しかし脳が壊れてくると認知症も含めて自分自身がいなくなりますので、自分自身は脳の中にいるんです。
 脳の中でも小脳には自分はいないんですよ。脳幹というところをバサッと取ると、呼吸しませんから命がなくなってしまいますが、人工呼吸器を使えば生きており、自分自身はなくなりません。脳幹には、呼吸中枢はじめ生命維持装置があり、動物を生かしているところです。つまり、生き死に関わる脳です。
 そして自分自身は、人間で最高に発達した大脳皮質のとてつもなく複雑な神経回路の中にいるわけです。ここがやられると認知症植物状態になってしまい、自分自身はいなくなります。
(中略)
 あなた自身は大脳の中にいるけれど、身体はこれとは別に地球40億年の歴史の中で作られた60兆個の細胞からなる有機物の集合で、あなた自身とは別物です。あなたは身体を借りているだけなのです。

 「知らなかった」の章で、同じ病院に入院している女性患者と知り合う。ちょっとだけ病院を抜け出して一緒にお茶のみに行こうと誘う。でも近所に手ごろな喫茶店がなかったので、佐野は病院に近い自宅に誘う。一緒にお茶を飲んで風呂を勧めると風呂にも入っていった。その夜彼女が病室を訪ねてきた。検査の結果が出て、余命4カ月だと言われた。通っていた宗教の先生が救われるって言ってくれたのに、「仏様にも救えないものがあるだよね」。

 彼女の顔が50センチくらいの近さにあった。/彼女はうちのお風呂から出てきた時と同じ静かな表情をしていた。
 私はその時頭の後ろからすっと何かが入ってきたようにわかった。
「わかった、あなた、もう救われていたんだよ。仏様が救ったのは、体じゃなかったんだよ。魂が救われていたんだよ。だから、あなたは、苦しんだり不安じゃなかったんだよ。普通にしていられたんだよ」
 神も仏も信じていない私が言っていた。
 彼女は私のベッドの上のあかりのほうを見ていた。彼女は丸い黒い瞳をしていた。
「あーそうか」
 彼女が言った。
 その時、その黒い瞳が、さーっと茶色に透明になっていった。そして彼女は一瞬にして白というか銀色というか光り出したのだ。私はぶったまげた。
 そしてその透明な茶色い瞳いっぱいにあふれるように水が盛り上がってきた。
 光は消えた。瞳がだんだん黒くなっていった。
「あーそうか」
 もう一度彼女が言った。
「やー今、すごく嬉しかった。そーだね、そうだったんだ。ありがとう。言ってくれなかったら私わかんなかった」
 光の余韻の残った卵形のほほを涙が流れていった。
 光は彼女のところだけにやってきた。
 その時、私はもう一つのことがわかった。神も仏も私のところにはやってこない。
 しかし私は神だか仏だかの法悦を受けた人を見た。生まれて初めて、そして最後だろうと思った。
「やっぱり、仏様は、佐野さんに引き合わせてくれただよ。言われなかったらわかんなかった」
 私はちかって言うが、神も仏も信じたことはない。今も信じていない。
 しかし神だか仏は彼女のところにだけやってきた。それを見た。

 職場の喫茶室で昼休みこれを読みながら目が潤んできて困った。佐野は2010年70歳で亡くなった。
 今まで佐野洋子は『100万回生きたねこ』のほかは強烈なお母さんのことを書いた『シズコさん』を読んだくらいだった。優れた作家を知った。『神も仏もありませぬ』や『私の猫たち許してほしい』も読んでみよう。

北京のこども (P+D BOOKS)

北京のこども (P+D BOOKS)

死ぬ気まんまん (光文社文庫)

死ぬ気まんまん (光文社文庫)