『菌世界紀行』を読む

 星野保『菌世界紀行』(岩波科学ライブラリー)を読む。副題が「誰も知らないきのこを追って」といい、植物の病原菌である雪腐病の菌を世界各地に探して歩いた紀行文。雪腐病菌は他の菌類が活動できない低温の環境でも活動でき、積雪下で植物に寄生して枯らしてしまう。低温環境を好むため分布は寒冷地に限られる。星野は北海道の研究所に勤務しているが、雪腐病菌を追って、ノルウェーグリーンランド、シベリア、イラン、そして南極まで行ってしまう。
 この岩波科学ライブラリーというシリーズは、おそらく若者に自然関係の学問を普及するのが目的ではないかと思われる。科学的に厳密であることは外さないまでも、いわゆるヤングアダルト層に興味を持ってもらうことを目指しているのではないか。本書においても、星野はチョー専門的な雪腐病菌の分布や生態を一般向けにおもしろく語ることに腐心している。そしてそれは極めて成功しているといえる。
 その面白い記述の一端を紹介すると、星野がシベリアに調査旅行をしたとき、ロシアでの共同研究者としてオレグが同行した。星野がオレグを紹介する。

 オレグは、基本的にはいいやつだ。私より10歳も年上なのに、偉ぶったところがない。しかし、完璧な人がいないように(人格者と周囲から言ってもらいたい私でさえ、整理整頓ができず、無駄使いが好きな、自分に甘い怠け者で、目をつぶってニンジンを丸呑みし、納豆が食べられないなどの些末な欠点があるように)、彼にも欠点がある。私から見るとあまりに吝嗇(りんしょく)が過ぎる。つまりケチなのだ。

 ケチだから(本当は給料が安いせいで)、二人が泊るところもホテルは高いからと知人の家に泊めてもらったり、とにかく安いところを探す。オレグの所属するモスクワ植物園のゲストハウスは1泊たった50コペイカ、日本円でわずか7.5円! しかしトイレとシャワーは共用で、トイレに行くときなどはナイフを用意して、用を足すときは口にくわえていろと管理の小母さんに言われた。宿泊料が安いのでまた貸しに次ぐまた貸しが行われていて、誰が住んでいるか分からない。中には怪しい人もいて、星野は明らかに外国人なのでトイレやシャワーのときに襲われる可能性がある。だから用を足すときなどナイフをくわえていろと。
 とにかくおもしろい。ただ、主題は雪腐病の調査だ。インカルナータとかイシカリエンシスと言った病原菌の学名が頻出する。私は前職で多少ながら植物病理学の論文の編集にも携わっていた。イシカリエンシスとかインカルナータなどの名前に10年ぶりに接して懐かしかった。北海道の小麦の重要な病気なのだ。だから、一般の読者が私ほど面白がるかどうかは自信がない。私にとっては、今月読んだ13冊の本のうち2番目に面白かったが。


菌世界紀行――誰も知らないきのこを追って (岩波科学ライブラリー)

菌世界紀行――誰も知らないきのこを追って (岩波科学ライブラリー)