丸谷才一『腹を抱へる』を読む

 丸谷才一『腹を抱へる』(文春文庫)を読む。これは「エッセイ傑作選1」と副題があり、丸谷のエッセイ集のなかから粒よりのものだけを選び抜いたのだと、解説で鹿島茂が書いている。
 単行本に掲載された年でいえば、1970年から2004年にまで及んでいる。もっとも「郷土ニュース」というエッセイは昭和14年、丸谷が中学3年のときに書いたものだ。
 傑作選という触れ込みだけあって、なかなか面白い。肩の凝らない短いエッセイのなかに教えられることが多々ある。
 辞書にまつわるゴシップというテーマで語られる長嶋茂雄のエピソード。

 野球の長嶋茂雄さんが立教大学の1年生になって、最初のフランス語の時間、先生が仏和辞典を1冊、持つて来て、引き方を詳しく説明した。
 授業が終つて、休み時間になると、長嶋さんはひどく感心して、かう言つた。
「フランス語の言葉が全部、集めてあつて、しかも、発音も、訳もつけてあるなんて、ひどく便利なものがあるんだな。うーむ、大したものだ。かういふ便利なものが英語にもあれば、おれももうすこし英語が出来るやうになつたのに」
 これはもちろん、誰かが作つたゴシップでせうね。フィクションにちがひない。

 昔このくだりを読んで、半信半疑だったが、その後長嶋の出身校の佐倉第一高校を訪ねたとき、その高校が地域トップの進学校であることを知って、このエピソードがデマであることが分かった。
「電報譚」では電報に関するエピソードが語られる。明治9年の神風連の乱のとき、熊本鎮台司令官種田政明少将が熊本の士族200余人に襲われて殺害された。種田少将の愛人であった芸者小勝は暴徒に抵抗して負傷した。その芸者が東京の父親に宛てて打った電報が、〈ダンナハイケナイ」ワタシハテキズ〉というものだった。これが当時人気を博し、仮名垣魯文が加筆して都々逸を作り、一世を風靡した。それが「旦那はいけない、わたしは手傷、代わりたいぞえ国のため」というもの。それについて丸谷は、

 明治の芸者はこんなに文才があつたのかと感心したくなりますが、ここのところがちよつとむづかしい。何しろ口語文が成立してゐない時代ですから、小勝は、いつも口ずさんでゐる小唄端唄の調子で書くしかなかつたのでせう。文章は型にはめて書くものなのである。

 文章は型にはめて書くものなんだ。
 開高健の釣魚大全について、

 開高健さんは釣りの大家である。世界中を歩きまはつて釣りを楽しんでゐる。殊に、釣つた魚を全部にがしてやるといふのがしやれてゐて、いよいよ達人らしい印象を強める。昔、太公望は真直な針をつけて糸を垂れたといふが、ほとんどその境地に近いではないか。感嘆せざるを得ない。
 さらに、彼の随筆を読むと、実際に釣つた話は極めてすくなく、といふよりは滅多になく、一日待つてもつひに何も釣れなかつたといふ話が大部分を占めてゐて、ああ書かれると、読者としては、いや、本当はそんなことはあるまい、絶対に違ふはずだ、釣れた魚を次から次へと逃がしてゐたのだらう、これは謙虚な精神のあらはれに相違ない、一道の名人ともなると人間的にも立派なものだなあ、奥ゆかしい、と感心したくなつて、つまり、釣りの大家への尊敬がいよいよ深まる。

 開高健に釣りを教えたのは柴田和だった。釣った魚を逃がしてやるキャッチアンドリリースは柴田仕込みだろうし、開高の釣りは本当に下手だったと柴田が話してくれた。