正津勉『「はみ出し者」たちへの鎮魂歌』を読む

 正津勉『「はみ出し者」たちへの鎮魂歌』(平凡社新書)を読む。副題が「近代日本悼詞選」という。「悼詞」について、巻頭に『広辞苑』を引いて説明している。
 【悼詞=とうし】「人の死をいたみ弔う詞。弔詞」
 はみ出し者として取り上げられたのは18人。東アジア反日武装戦線のテロリスト大道寺将司が死刑囚永山則夫を悼み、折口信夫が養子折口春洋を、辻まことが父辻潤を、谷川俊太郎が父谷川徹三を、吉本隆明鮎川信夫を悼んでいる。ほかに斎藤史大杉栄石原吉郎會津八一金子光晴などの名前も上がっている。
 著者正津勉は詩人。取り上げられたのも詩人や歌人が多い。今まで弔辞集は何冊も編まれてきた。にも関わらず本書は類書と趣を異にし、読後の印象は悪くはなかった。最も強く感情を揺さぶられたのは、詩人金子光晴の詩人山之口貘を悼んだもの。金子は明治28年、愛知県生まれ。山之口は8歳年下で沖縄県生まれだった。初対面で親しくなり友人になる。光晴夫婦の立会で貘は見合いをする。戦後の昭和33年、漠は34年ぶりに沖縄の土を踏む。漠の「不沈空母沖縄」という詩。

 守礼の門のない沖縄
 崇元寺(そうげんじ)のない沖縄
 がじまるの木のない沖縄
 梯梧(でいご)の花の咲かない沖縄
 那覇の港に山原船(やんぶるせん)のない沖縄

 「弾を浴びた島」という詩。

 ウチナーグチマディン ムル
 イクサニ サッタルバスイ
 (沖縄方言までもすべて
 戦争でやられたのか)

 昭和34年1月、沖縄より帰京。そして、

 昭和38年3月、胃癌を発病して入院。7月19日、貘さん死去。享年59。
「臨終の日、『金子さん。もっとそばへ来てくださいよ。どうして、そんなに遠くにいるんです?』とうわ言したと、看病していた人から、僕はきいた。……。だが、仮に僕が死ぬにしても、『もっとそばへよってくれ』という友人はいないのだ」(「貘さん御機嫌いかが」)

 吉本隆明鮎川信夫への弔辞は、その一部が引かれている。

 貴方の詩の作品が戦後早く書かれた「死んだ男」から晩年に近い「宿恋行」にいたるまで、いつも湛えている情感があります。それはいってみれば生まれてから死ぬまでのあいだ、この現実の社会に身体を繋ぎとめておくために、誰でも必要な最小限の日常生活でさえ空しいと感じているような、底深い厭世観と、身を消してしまいたい願望でした。
 そこからわたしたちへの無限の優しさと思い遣りが射し込んできたのだと思います。
  ……
 この日常の世界にひきとめておく手立てもないような、貴方の深い現実厭離の思いは、もしかすると遠い幼年の日に、誕生と同時に、父母未生の根拠から受け取られたものではないか。そう解するのが、いま溢れてくる哀しさと清々しさにいちばんふさわしいように感じられます。
 貴方の死と一緒に、戦後詩の偉大な時代が確かに終りました。それとともに幼年の日のエディプスが偉大でありうる時代が終っていくのだと存じます。いまその場所に立ってお別れの礼を致します。

 鮎川信夫吉本隆明、それに田村隆一を加えれば、戦後詩人のベスト3と言えるだろう。
 良い本だった。ただ瑕疵を指摘すれば、正津勉は詩人だが、散文が下手なことだ。コピーライターの草分けの土屋耕一だったかと思うが、エッセイ集を読んだら体言止めが多くて読みづらく、むしろ悪文だったことを思い出した。詩人やコピーライター、必ずしも名散文家ではないということか。