小山内龍『昆虫放談』を読む

 小山内龍『昆虫放談』(築地書店)を読む。北杜夫が若い頃愛読していたと知って読んでみた。本書は初版が昭和16年6月に大和書房から発行され、ついで戦後の昭和23年に組合書店から発行された。そして書名を『昆虫日記』と変えてオリオン社から昭和38年に、これは著作権者の遺族に無断で発行されたという。私の読んだのは1978年発行の築地書店版だった。北杜夫はどの版で読んだのだろう。
 全編句読点なしの分かち書きで書かれている。当初読みにくいと思ったが、人は何でも慣れるものだ。これが合理的とは思えなくて、いつの間にか廃れたのも理解できる。その実際を引用する。

 今年はまず 飼育してみようと 思っていた キアゲハの食草を 新芽の頃から鉢植えにしておいた これは 僕としてはまったく 思い掛けないテガラであった ところが 冬眠中から オオムラサキの 飼育を待望していながら なんという 間抜けであろうか 食樹の準備をなんにも考慮に入れていなかったとは

 表記方法はさておくとして、やはり戦前の昆虫記だ。小山内はまだファーブルも読んでいないらしい。素朴な昆虫採集記が綴られていく。ほかに類書がなかったから北杜夫が夢中になったのだろうかと訝しがりつつ読んでいった。それが美麗標本を作るため、ヤママユやヒメヤママユ、オオミズアオオオムラサキなどを幼虫から飼育し、成虫に羽化させることに挑戦するあたりから、いろいろドタバタし面白くなっていく。神奈川県の大山へギフチョウの採集に行ったり、オオムラサキの幼虫を飼育するための食草のエノキの採集に四苦八苦したり、それがついに羽化して有頂天になったりの記録が大いに楽しませてくれた。
 ただ、これが現代執筆されたものだったら、はたして出版されたかといえば、難しいかもしれない。やはり進歩というものはあるのだ。40年前の野鳥図鑑を見れば、現代の鳥類カメラマンは羨ましがるだろう。あんな程度で出版されたのだと。『昆虫放談』は昭和16年、今から72年も前の戦前に発行されたのだった。6月に発行され、その半年後に真珠湾攻撃があり、日米は太平洋戦争に突入していったのだ。最後の平安のときの記録だったのかもしれない。


昆虫放談

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