高橋源一郎の説く靖国神社問題が興味深い

 高橋源一郎の説く靖国神社問題が興味深い。朝日新聞の「論壇時評」で高橋源一郎が書いている(1月30日)。

 安部晋三総理大臣が去年の暮れ、現役総理としては7年ぶりに靖国を参拝し、大きな波紋を呼んだ。それから、ほんの少し前、新たにNHKの会長になった人が、「従軍慰安婦はどこの国にもあった。解決した話なのに、韓国はなぜ蒸し返すのか」と発言し、これもまた大きな問題になっている。

 そして、これに関する問題点をいくつか指摘したあとで、高橋は個人的な思い出を書いている。

 最後に、わたしの個人的な「靖国」について書いておきたい。
 父親のふたりの兄はアッツ島とフィリピンでそれぞれ「玉砕」している。大阪に住んでいた祖母は、上京すると靖国に詣でた。そんな母に、わたしの父親はこういって、いつも喧嘩になった。
 「下の兄さんの霊が、靖国になんかおるもんか。あんだけフランスが好きだったんや、いるとしたらパリやな」
 では、その、わたしの伯父は「英霊」となって靖国にいるのだろうか、それとも、パリの空の下にいるのだろうか。
 父は、兄たちが玉砕したとされる日になると、部屋にこもり、瞑目した。それが、父の追悼の姿勢だった。もちろん父は祖母の靖国行きを止めることもなかった。「忘れられた皇軍」兵士、ジョ・ラクゲンは父と同い年だ。
 伯父の霊は、靖国にもパリにもいないような気がする。「彼」がいる場所があるとしたら、祖母や父の記憶の中ではなかっただろうか。その、懐かしい記憶の中では、伯父は永遠に若いままだったのだ。「公」が指定する場所ではなく、社会の喧噪から遠く離れた、個人のかけがえのない記憶こそ、死者を追悼できる唯一の場所ではないか、とわたしは考えるのである。

 死者がいる場所は「祖母や父の記憶の中ではなかっただろうか」というのはその通りだと私も考える。自死した山本弘も友人たちも、私の記憶のなかに住みついている。私は彼らの墓参をしないが、それは彼らが墓の中ではなく、私の中にいるからだ。
 高橋の文中、「「忘れられた皇軍」兵士、ジョ・ラクゲン」とあるのは、大島渚監督のテレビ・ドキュメンタリー「忘れられた皇軍」(1963年、日本テレビ)のことで、元日本軍在日韓国傷痍軍人会の人々は、戦争によって手足や視力を失ったのに、戦後韓国籍になったことで軍人としての恩給が支給されなかった。

 番組の後段、片手と両眼を失った元日本軍属、ジョ・ラクゲンは自らサングラスをとる。国家と歴史に翻弄された男の、潰れた眼から涙がこぼれる。
 彼がもし戦死していれば、靖国に「英霊」として祀られただろう。だが、生き残った者には金を払わないのである。

 高橋の論文の標題は「すべて解決済みなのか」である。済んでなどいなかった。