神奈川県立美術館で松田正平展を見る


 神奈川県立美術館 鎌倉で松田正平展を見た。9月1日が最終日だったので、やっとその1日前に行って来た。松田正平は私にとって長い間不思議な画家だった。なんかとてつもなく下手に思えるのだが、洲之内徹は松田を絶賛していて、薔薇の絵は梅原龍三郎より良いと「気まぐれ美術館」に書いていた。それでずっと気になっていた画家だった。
 展覧会のちらしに書かれている松田の略歴。

 松田正平は、1913(大正2)年、島根県日原町に生まれ、4歳のころ山口県宇部市の松田家の養子になりました。1932(昭和7)年、浪人の末、東京美術学校西洋画科に入学します。1937(昭和12)年、同校を卒業し、翌年、パリに留学しルーヴル美術館で模写に励みます。第二次世界大戦の勃発により、1939(昭和14)年、帰国。1941(昭和16)年に、国画会に初入選したのち1994(平成6)年まで、ほぼ毎年出品します。1947(昭和22)年に初めて宇部市の対岸に浮かぶ祝島(いわいしま)を訪れ、松田の名前を世間に知らしめ、生涯のテーマとなった「周防灘」シリーズを制作し始めます。1952(昭和27)年に上京し、いくつか転居したのち、1963(昭和38)年から1995(平成7)年まで千葉県市原市雛舞に居を構えます。そして1995年から亡くなる2004(平成16)年までは、故郷の宇部で暮らしました。その戦後の歩みのなかで松田正平は、バラや犬や魚など身近なものをテーマに味わい深い油彩画を描き出しました。


 ときどき銀座のフォルム画廊の個展で数点ずつは見ていたが、まとめて見たのは今度が初めてだった。ちらしの表紙になっている「四国の犬」はまるで子どもの絵のようだ。ちらしの裏面には「オヒョウ(大きな魚)」というヒラメみたいな魚の絵や、フルートを吹いている男の絵「笛吹き」、そして「バラ」も載っている。色彩の美しい画家だ。
 松田のヘタウマのような形がどこからきているのか不思議だった。この形が唐突に現れたにしては躊躇しているようなところがない。これは何だろうと思っていた。
 まとめて見ると今まで分からなかったところが分かってくる。色彩の華やかさに惑わされて分からなかったが、松田はデュビュッフェの大きな影響を受けているのではないか。ヘタウマのような形もデュビュッフェから来ていると思えば納得がいく。薔薇の絵が梅原より良いかは分からなかったが。
 神経質なところの全くない明るく穏やかな作品だった。
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 帰宅して娘に松田正平展のちらしを見せると、変な絵だねえ、これだったら丸木スマの方がいいや、と言う。わたし、丸木スマの「めし」が一番好き、でも家に飾るんなら丸木スマよりこっち(松田)の方がいいね、と。
 スマの絵はアール・ブリュットアウトサイダーアート)ではないけれど、それに近いものがあるだろう。松田の絵から連想したデュビュッフェはアール・ブリュットに強く影響されている。スマと松田に共通するものが確かにある。
 丸木スマは、原爆の図で有名な丸木位里のお母さん、60歳を過ぎてから絵を描き始めている。下手なのになぜかすばらしい。

丸木スマ「めし」、4匹の猫が食器を囲んで一緒に食べている。中央下方には小さな子猫が2匹おこぼれにあずかっている。スマの描く動物はみなティラノザウルスのような情けない手をしている。