笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』がおもしろい

 笹沼俊樹『現代美術コレクションの楽しみ』(三元社)を読む。サラリーマン・コレクターの書いたコレクション歴なのだが、これが実におもしろかった。著者は1939年生まれの商社マンで、ニューヨークに駐在したり、欧米へ何度も出張したりして、その都度現代美術のギャラリーを回り、自分の眼で見て作品を買ってきた。作品を購入しようと思った作家については徹底的に研究する。本を読み美術館へ通いギャラリーを訪ね、その作家の制作の傾向を調べ上げる。巻末の著者紹介に、好みの作者として、ミロ、デュビュッフェ、フォンタナ、フォートリエ、ジョエル・シャピロなどのほか、日本人では山口長男、オノサト・トシノブ〔50年代後半〜60年代前半の作品〕、坂本善三〔1978〜1979年の作品〕、白髪一雄(60年代前半の作品〕、高松次郎〔70年代前半の作品)などが挙げられている。
 ご覧のように好みがハッキリしていて、かなり専門的だ。しかも好きな日本人作家に見られるように、制作年代に対するこだわりが強い。所有するデュビュッフェの1949年制作のドローイングが口絵に掲載されているが、デュビュッフェだったら1946年から1949年の間に制作された作品を入手したいと考えて、ついに苦労して手に入れたのだった。
 その入手経過が詳しく書かれているが、この部分が本書の白眉でもある。画家のマティスの息子であるピエールが経営するピエール・マティス画廊から、デュビュッフェのその作品を購入するまでのピエールとの虚実混ざった交渉が、ほとんど小説を読むようなおもしろさなのだ。
 ほかにもしたたかな欧米の画商たちとのやりとりが、実際に経験した者の生々しい報告として語られている。ところどころ、参考程度の口ぶりで辛口の評も記される。例えば、サム・フランシスについて、その注で、

50年代前半は、画面の大部分に蚕のマユのような形状のパターンを敷きつめた抽象作品を、50年代後半には鮮やかな色彩の"ちぎれ雲"の集合体のような、独自のスタイルの抽象画を制作した。この時代がサムの全盛期だったように思える。

 笹沼は「50年代がサムの全盛期だったように思える」と言っている。かつて、私がサム・フランシスの70年代の作品についてスカスカだと言って、先頃亡くなった原田某という下手な絵描きから「生意気言うな、出て行け」と怒鳴られたことを思い出す。同じことをT美術のTさんに言ったとき、Tさんは「サムの若いときは良かったよ」と言われた。たしかに佐倉の川村記念美術館に展示してある1956年制作の作品は良いものだったし、昨年南天子画廊で見た1950年代制作の版画も良かった。
 また、エルズワース・ケリーに関する注の項で笹沼が書いている。

時に、驚かされたのはブラム・ヘルマン(画廊)での展示。美しい木目がはっきり出た巨大な細長い白木板で、縦方向の左端にゆるやかなカーブをほどこしたのみの作品。ケリーらしい色彩も塗られてなく、木地そのものである。日本のもの派の作品を見ているような錯覚に陥ったが、洗練されたその雰囲気はそれとは比較にならなかった。

 大胆にも「もの派」を洗練されていないと言っている。これを読んでも笹沼の眼の確かさが伺われる。
 一度だけ京橋の画廊で同席し、短時間だったが近くで話を聞いたことがある。銀座ではそこそこ有名なコレクター某氏について、あの人も良いものを持っているようですと言ったら、あいつは絵が分からないからとにべもなかった。ずいぶん生意気なオッサンだと思ったが、本書を読んでその強気な態度に納得がいった。たしかに生半可な知識や経験ではないことがよく分かった。10年ほど前に倒産した銀座の代表的な現代美術の画廊の社長のことも、彼は眼が利かなかったから、ヨーロッパの画商にくずを掴まされたんだと言い切った。そう言い切れるだけの裏打ちがあるのだ。
 シャピロとは個人的に交遊もあり、所有する作品は欧米の美術館から依頼されて貸し出すこともあると言う。著者紹介にも「国内外の国公立・私立美術館等にも認められる質の高いコレクションで知られる。企画展への作品貸し出しも多い」とある。
 とにかく引きずり込まれて、夢中で読んだ。現代美術のコレクターやギャラリスト、また美術館の学芸員だったら本書は必読だろう。
 こんな風に絶賛しておいて、意地悪く少しだけ瑕疵を指摘する。

 ニューヨークに出張した時は、必ず、土曜日に時間を見つけてはこの画廊(ピエール・マティス画廊)に寄った。画廊の雰囲気にのまれないように、自分をそれに慣らすためだった。また、デュビュッフェのどんな作品を所有しているか、さぐる目的もあった。

 「さぐる目的」なんて品がない。「確認したい気」とか「知りたい気持ち」くらいにした方が無難だろう。

 翌日、オフィスでの社内会議、打ち合わせなどを手際よくかたずけ、夕刻からビジネスマンなどでごった返す街に飛び出した。

 自分の行動を「手際よく」と書くべきではない。ここは「早々に」くらいにすべきだろう。

画商界という特殊部落の論理で、ごり押ししてきたに違いない。

 今どき「特殊部落」なんて言葉を使ってはいけない。これは編集者の責任でもある。

顔を上げると、微笑みながら、自身たっぷりにつぶやき始めたピエールが視界に入ってきた。

 この「自身」は「自信」の校正ミスだろう。これまた編集者の責任だが。
 文系の書籍ながら横書きだ。「この作品を購入する十二、三年前から」と漢数字で書き、「2008年11月12日」と算用数字で書く、その混在が気になった。横書きなら全部算用数字に統一すればよいのではないか。
 全体にコレクター特有の自慢話が鼻につく。もっともこのクレームはカナリアに歌うなというのに近いかもしれないが。
 おもしろかったし、読みやすかったので、1日で読み切ってしまった。本体価格1,800円は安いと思う。