ノーベル文学賞を受賞したメキシコの詩人オクタビオ・パスは『マルセル・デュシャン論』(書肆風の薔薇)で機械と人間を比較して、人間こそ不死だと書く。
これらの機械は、われわれの身体よりも長もちのする材料でできているにもかかわらず、われわれよりも速やかに老朽化する。それは考え出されたもの、つくられたものであり、身体は再生であり、再創造である。機械は傷み、ある期間経つと、新しい型が前の型にとって代わる。身体は年老い、死ぬが、人間の身体は人間が地上に出現して以来、今日まで、同じものたりつづけている。身体は死すべきであるがゆえに、不死である。そしてこれこそ、そのつねに変わることのない魅惑の秘密−−性の秘密であり、かつエロティシズムの秘密である。
それとは少々異なるが、『逝きし世の面影』の著者渡辺京二が朝日新聞のインタビューに答えて「長生き」という価値観に疑問を呈している(8月23日)。
私たちは彼ら(幕末維新の頃日本に滞在した外国人)の観察を通して、近代化で失ったものの大きさ、豊かさを初めて実感できます。いま私たちが生きている近代文明の本質も見えてくる。たとえば、いくら江戸時代がいいといっても当時の平均寿命は今の半分以下だったんだぞ、という批判があります。でも、その前提にある「寿命は長ければ長いほどいい」という価値観が、すでに近代の発想なんです。人は時代に考えを左右される。その思考枠に揺さぶりをかけ、いまの社会のありようを相対視したかったのです。
パスの「人は不死だ」という考えと、渡辺の「長生き」という価値観への疑問。これらは少々共通したものを持っているのではないだろうか。長生きなどしなくても、短命で充実した人生があるということ。その人生は同時に「人」という強い共通性によって他人たちとも連続していること。この時、死は断絶などではなく、たとえて言えば何か小さなズレ程度のことになるのではないか。人は死を超えて他の人と連続している。
・『逝きし世の面影』を読んで(2010年4月13日)
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