丸谷才一『人間的なアルファベット』を読んで

 丸谷才一『人間的なアルファベット』(講談社文庫)を読む。裏表紙の惹句に「好奇心とユーモアに色っぽさをブレンドして、AからZの単語にまつわる項目を辞書風に仕上げた大人の極上エッセイ」とある。
 A:ACTRESS(女優、女役者)、ART(美術)、B:BARRISTER(弁護士)……Z:ZIPPER(ジッパー)と続く。単なる辞書風などではなく、すべて多少ともエロティックなノリになっている。
 Eの項EUPHEMISM(婉曲語法・婉曲的表現)で、『輪舞』で有名な作家シュニッツラーを取り上げて、ドイツの歴史学者ピーター・ゲイの『シュニッツラーの世紀』を引用して紹介している。

 1887年9月はじめにウィーンの街で、彼は、魅力的な若い女、アンナ・ヘーガーに声をかける。この女は身分を高く見せようと背伸びし、「ジャネット」と名乗るが、実際は些少の生活費を稼ぐために刺繍の仕事をしていたのだった。シュニッツラーの属する冷厳な階級社会においては、彼女はきわめて不釣合いだったゆえにこそ遊びの愛の標的としては好ましかった。(中略)1988年8月、長い不在の後ウィーンに戻ってきたシュニッツラーは、5回にわたりジャネットと関係をもった。
 この行為の復活が二人を飽きさせることもなく、その烈しさはそのまま続く。シュニッツラーの日記には、次の夜に2回、その次の夜に4回、行為に及んだと記されている。8月31日に、ジャネットとの情事が始まってから11ケ月の間に362回関係をもったという記録を彼は残している。1889年の末に二人が別れたとき−−この恋愛は彼女が愁嘆場を演じるようになってから綻びを見せていた−−ジャネット・ヘーガーとの性交の数は、583回に達していた。

 シュニッツラーは行為の回数をすべて記録しておいたのだ! 362回関係をもったとき、彼は27歳だった。何というタフさであるか。まるで佐藤優の伝えるロシア人だ。(このページの末尾参照)
 ついで、Fの項FASHIN(流儀、様式、流行、はやり)で、背広のボタンのとめ方について書いている。「銀座百点」に載っている銀座の名だたる洋服屋の広告について、30くらゐの男と50年配の男が並んで立っている。「どちらもよい身なりである。/ただし問題が一つある」として、

 若いほうの男が背広のボタン2つのうち上のボタンをとめてゐるのはいいけれど、後者がボタン(2つボタン)をとめず、前をあけてゐるのは見つともないね。
 背広は、椅子に腰かけたときはボタンをはづし、立ち歩くときはボタンをかける。日本人はそれをしないから醜態である。国際会議のときなど、日本の偉い人はこの心得を知らなくて困ると、さるもの知りから聞いたことがあつた。

 この背広のボタンのことも、以前紹介した。(このページの末尾参照)
 つぎに、Pの項PILLOW(枕)で、色っぽい枕の話として、『新古今』から伊勢と和泉式部の和歌が引かれる。

     忍びたる人とふたりふして    伊勢
 夢とても人にかたるな知るといへば手枕(たまくら)ならぬ枕だにせず
     題しらず          和泉式部
 枕だに知らねばいはじ見しまゝに君かたるなよ春の夜の夢


 2つつづいてゐる名歌です。濃厚で女の匂ひがむんむんする。悩ましいですなあ。
 1首目は「夢で見たことですよ、などといふ条件つきでも人に語つて下さいますな。枕は二人の仲を知るといひますので、今宵は枕をせずにあなたの手を枕にしたのです」。1句「ゆめ」は名詞「夢」と禁止の副詞「ゆめ」(決して……するな)にかける。
 2首目は「枕さへ知らなひので(つまり枕はしなかつたから)、枕も告げ口はしないでせう。今夜見た夢(つまり色事)のことをあからさまに人におつしやらないで下さい」。
 口語訳すると詰まらなくなる。そつと静かに口ずさんで下さい。日本文学の最上の部分ですよ。

 いつの世も男は話したがり、女は秘密にしたがるようだ。
 同じくPのPORNO(ポルノ)の項で、吉行淳之介千里眼が語られる。戦前の『臍下極楽』という春本について、編集者から借りて読んだ吉行が、「あの文章、素人にしてはうますぎる」と言い、「玄人だね、あれは。誰だらう?」と言うので、丸谷が「昭和初期の調子ね。大正ぢゃない。新興藝術派?」とつぶやき、吉行が「いい線だね」と応じたので、「新興藝術派なら、あなたのお父さん(吉行エイスケ)もさうだけど」。「いや、あれは親父ぢやないね。親父の書き方とは違ふ」(中略)そこでわたしが、新興藝術派に属する作家たちの名を、思ひつくままに、「中村正常……龍膽寺雄……」とあげてゆくと、吉行さんは、「龍膽寺さんだね。龍膽寺さんのスタイルだ」。それから10数年以上経つてから、城市郎の書いた考證を読んでゐると、『臍下極楽』は素人の書いた体験記で、そのままでは人前に出せないまづい文章なため、刊行者が龍膽寺雄に頼んで手を入れてもらつた、と書いてあつたという。さすが、吉行淳之介
 Uの項のU and non-U(上流と非上流)も面白かった。でも、これ以上は略す。


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