山下裕二『日本美術の二十世紀』がとても楽しい

 山下裕二『日本美術の二十世紀』(晶文社)がとても楽しい。雪舟、伝源頼朝像、高松塚古墳、雪村、伊藤若冲白隠写楽長谷川等伯らを論じている。タイトルの「〜の二十世紀」というのは、「1956年の雪舟」とか、「1910年の写楽」とか、これらの画家が話題になった年に絡めて書いているから。本書は1999年から2002年にかけて雑誌『is』(ポーラ文化研究所発行)に「古美術の20世紀・視線の変節」と題して連載したもの。
「まえがきにかえて」より、

 みなさん、これからちょっと難しい話になりますが、がまんして読んでください。

 とんでもない、最後までやさしくしかも興味深い記述なのだ。一つには、類書と異なり、山下の主観が全面に押し出されているからだろう。実名をあげて辛口の批評を書いている。「1956年の雪舟」から、

 この年(1956年)、それまでで最大規模の雪舟の展覧会が、東京と京都の国立博物館で開催された。(中略)岡本太郎雪舟評は、

なるほど大へんケッコーだ。真面目でひたむきであり、うまさというよりも、高度に達した技術がある。しかし私は正直いって空しかった。いったいこれを芸術というのだろうか。ここには「人間」の裏づけをみじんも感じることができない。つまりこれは、作られた「絵」であるにすぎないのだ。

 ますます凄いぞ、岡本太郎。ここまで言えるのは、今に至るまで、あなたしかいない。あの、すさまじくバカバカしくてステキな太陽の塔を創りだしたあなただから言えることだ。
 でも、雪舟の絵は、あなたが思っているようなものではない。はっきり言おう−−私は、雪舟は「真面目でひたむき」とは思わないし、それほど「高度に達した技術」も認めない。しかし、「人間の裏づけ」は大いに感じるし、「作られた絵」(たとえばしきりに呼び込みをしているいかがわしい画廊の原色系の版画を思い浮かべればよい)とは正反対のものだと思っている。私が受けとめている雪舟の絵に対する実感は、ことごとく太郎の論評と背反する。

 ついで、「『玄人』が見た雪舟展」と題して、野間清六の評価が語られる。野間は、古代の仏像を専門領域とする研究者と紹介される。野間は「外国では"日本一"」「フェノロサが紹介」「雪舟知らぬ日本人」といった論調で書いているらしい。これに対して、山下は書く。

 それにしても、「外国(西洋)でこんなに高く評価されている」という論調は、このところの、武満徹の音楽や北野武の映画をめぐる報道を思い起こさせる。この敗戦国根性に基づくどうしようもないレッテルの貼り方は、半世紀近く経っても、まったく変わらない図式で文化の語り口として機能しているわけだ……ああ、情けない……。

 この2年後、地味な雪舟の研究書が2冊出版された。熊谷宣夫著『雪舟等楊』(東京大学出版会)と、蓮実重康著『雪舟』(弘文堂)である。山下は書く。

 私には、熊谷と蓮実の2冊の本は、その後の雪舟を語る言葉の二極分化の象徴のように思える。
 熊谷のような、歴史的検証を第一義とする篤実な研究者の言葉は、ますます閉じた学問の世界へ閉塞していく。その結果、それを引き継いだ実感の伴わない孫引きの言葉ばかりが画集の解説を埋め、雪舟の絵は、ア・プリオリにその価値を保証された存在として、神棚の上に祭り上げられていく。
 そして、蓮実のように積極的に「現代」の問題に関わろうとする人の言葉は、どんどん増幅されて、実体のない空疎な抽象的論議へとはまり込んでいく。たとえば吉村貞司の一連の著作(『雪舟講談社、1975年など)は、ハッタリに満ちたきらびやかな言葉で雪舟を語るが、その大仰さにはちょっと閉口する。

 いや、美術評論家の大御所に対して、「ハッタリに満ちたきらびやかな言葉で雪舟を語る」なんて、なかなかここまで言えることではない。
 他の章もみなすこぶる面白い。唯一の不満は、やはり200ページほどしかないことだ。


日本美術の20世紀

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