東大出版会の美女

 東大出版会のPR誌『UP』12月号に加藤寛一郎が「一行に要約できる教科書」というエッセイを書いている。加藤は飛行力学の専門家で東京大学名誉教授、最近東大出版会から『飛ぶ力学』という本を出版した。この本は出版社の販促文によれば、

空を飛ぶものの力学を「飛行力学」という。風見安定、流れの本質、大きさの影響、さらには操縦の極意まで、紙飛行機から恐竜までを例にとり、飛行力学のもっとも重要な点をやさしく解説する。いかにすれば空を飛べるか? 万人の疑問に答える待望の一冊。

 さて「一行に要約できる教科書」というこのエッセイも、いわば本書の販促のために書かれている。エッセイの冒頭の一部を紹介する。

 私は77歳である。このたび東京大学出版会から、飛行力学に関する教科書『飛ぶ力学』を書かせて戴く光栄に浴した。必ずしもギネスブックに載るほどのこととは思わないが、かなり珍しい記録であることは間違いない。(中略)
 この本には、思い入れがある。それは年取って教科書を書くという希有の体験のためだけではない。私は、自分が正統派学者でないという劣等感を持っている。(中略)
 私がなぜ正統派学者でないか。65歳で公職を退いたとき、私は自伝もどきを、東京新聞に書く機会を与えられた。冒頭私は、卒業論文で指導した学生の一人を登場させた。彼は紙面で、初対面の私がこう言ったと主張した。「世界主要国の首都にガール・フレンドがいないと駄目だぜ、ベイビー」。後に一冊の本になったとき、章立ての見出しの一つが、「東京大学の不良学者」であった。

 この後もおもしろいエピソードが綴られていく。普段なんの興味も持たない飛行力学だが、ちょっとだけ興味がそそられた。
 さて、東大出版会のPR誌『UP』だが、その1月号にまた加藤寛一郎のエッセイが掲載されていた。1月号の巻頭を飾るそのタイトルは「数式を使わない力学」という。加藤の新刊『飛ぶ力学』にも数式をほとんど使っていないという。
 加藤は消防大学校でも飛行力学の講義をしている。その時「力」を説明して、『日本語逆引き辞典』から末尾に「力」の付く言葉を60余り列挙した。

 いかがですか。力とは、他に影響を与えるものであるらしいですね。
 工学的な、あるいは計量可能な力は、他のものに影響を与えます。このような場合−−力が影響を与える場合−−作用・反作用の法則が成り立ちます。例えば黒板を叩けば、黒板は同じ力で反撥します。(中略)
 例えば「威力」を駆使すると、駆使した人は反撥を受けるのではありませんか? その結果彼は、場合によっては、「快感」や「自信」を感ずるかもしれません。
「女の魅力」には作用・反作用の法則は成立しないでしょう。成立しないことを願います。そうでないと、世の中が混乱します。

 この人は何を言いたいのだろう、そう思って読み進めると最後に次のようなことが語られる。

 拙著『飛ぶ力学』の着想を得て、20年ぶりに(東大)出版会を訪れたときのこと。私は目の醒める美女にでくわした。それは女の魅力の説明に苦慮してきた私が、時空の物理学の神髄を垣間見た一瞬であった。作用・反作用と慣性の法則万有引力の法則を加えたものが、より広範な真の力を定義するのではないか。あの本でそれを説明する機会を逸したことを、私は心から悔いる。
 おわかりいただけたであろうか。不良学者はこの大発見を世に知らしめるため、前号では猫を被り、漸く本号で正体を現したのである。目の醒める美女について、ご下問あろう。お教えするわけにはいかぬ。わからなければ、推量せよ。それは直感を育て、人生に喜びを与えるであろう。

 ここまで読んで思いだしたことがある。この『UP』12月号に須藤靖が「不ケータイという不見識」を書いていたことは先日紹介した。須藤がある会議でケータイを持っていないと発言して驚かれたことがあって、そこからこのエッセイが書かれたのだった。そのとき、会議に同伴出席したT嬢もまた不ケータイであることが分かって二人は意気投合した。注12によると、

(12) T嬢は常日頃不ケータイであることをカムアウトすると、「嘘でしょう」のみならず「番号を教えたくないのですね」と相手方から勘ぐられてしまうらしい。これは見目麗しい女性だからこその反応である。私は未だかつてそのように勘ぐられたことはない。(後略)

 さらに注18では、

(18) 今回の執筆をめぐるメイルでのやりとりを通じて、T嬢との絆が一層深まったこともまた不ケータイのおかげである。

 と書かれている。これらから推量するに、T嬢は東大出版会の編集者で見目麗しく、彼女との絆が深まったことが喜びであるように読める記述だ。さらに推量を逞しくすれば、このT嬢こそが、加藤寛一郎の言う目の醒める美女のことではないだろうか。
 東京大学出版会にはどうやらすごい美女が在籍しているらしい。


飛ぶ力学

飛ぶ力学