鴎座の『洗い清められ』を見て

 鴎座フリンジ企画の芝居『洗い清められ』を渋谷のスペースEDGEで見る。イギリスのサラ・ケイン作。サラは1971年生まれ、28歳のときうつ病自死している。演出は川口智子、2010年に同じ作品をリーディング形式で『クレンズド』として上演し、2011年は『浄化。』と題を変えて試演している。今回が「本公演」となり、題も『洗い清められて』と改められた。3公演とも川口が演出をしている。
 3作とも見てきたが、最初の『クレンズド』は何が起こっているのか分からなく見ていて混乱した。昨年の『浄化。』はやや見やすくなっていたが、それでも私の混乱は解消しなかった。しかし今回も見に行ったのは、これが鴎座の芝居だからだ。
 さて、今回の公演はどうだったか。最後まで興味が途切れることなく集中して楽しめた。以前と異なってダンスが芝居に溶け込んでおり、完成度が高くなっている。歌唱もすばらしかった。芝居そのものは難解で構成がよく分かったわけではなかったが、十分楽しめたのは要素の完成度が高かったせいだろう。
 芝居が終わったあと、演出家と武道家三枝龍生とのトークショーがあり、その時川口から芝居の舞台がアウシュビッツであることを教えられた。それで芝居のなかに頻出するサディスティックな行為の意味が納得できた。そしてパウル・ツェランの詩『死のフーガ』を思い出した。あれも難解な作品で、しかしそれがナチのホロコーストをテーマとした作品だと知れば、難解さは解消されないものの、作品としての美しさ、完成度の高さはよく分かる。
 川口の演出は象徴性が高く、作品の難解さを噛み砕いて提供しようとはしない。そのこと自体は決して悪くないと思うのだが、どこかにナチかアウシュビッツかを想像させるヒントのようなものをサブリミナルのように仕込んでおいてくれれば、もう少し理解しやすかったのにと思う。印刷された詩は反復して味わうことができるのに、芝居は1回きりだからだ。
 40年来見てきた黒テントが、この頃俗化して少々つまらなくなっているので、この鴎座に期待してしまう。川口の演出も引き続き見たいと思う。まだ29歳という若さなのだ。