山本弘のエッセイ「自分と絵画」を全編掲載する。飯田美術協議会の機関誌「飯美協」No.1(昭和35年5月発行)に掲載されたものだ。末尾に「60.3.16」の日付があるから30歳のときだ。
「自 分 と 絵 画」
という題で何か書いてくれ、という。題を指名されて3日、4日困惑沈吟、その後で皮肉っぽい題名にひねくれた腹立たしさを感じた。
自分はあなたたちの見、感じた山本弘であり、絵画はあなたたちの見、感じた絵画である。今更古式豊かな自己弁護を文字で並べ綴ったところで、改めて変わった道化芝居のセリフを見られる訳でなし、お互い気まずい眼をしばたくだけのことではないか。
だいたいえかきが自分と絵画なんて文章を書けるもんじゃあるまい。その上不幸にして私は博学叡智の才児でもない。こんな哀れな私に大それた綴方を書けなんて、どだいむかつくのも無理のない話である。といって独り苦虫を噛みつぶしていたところで、人様に納得のゆくようなモンクの浮かんで来ようはずもないから−−−、ま、みこしをあげて。
生ぬるい春の夜風に当たりながら赤ちょうちんのともる屋台にはいり、まんず焼酎一杯。
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周りはみんなジブンとゲイジツの誇りに満ち満ちた羨ましいご面相。立派なポオズである。こちとらごとき身内を空っ風が吹いているさもしいものとあけたが違う。冷たい風を止めるにゃ、燃える焼酎のコップを重ねて避を作らにゃ。
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独り相撲の阿修羅の乱麻は断ち切って、決断と勇気。
(何と結構な勇気、結構なはったり。そんなものあ豚にでも喰われちまうがいい。眼がちらつきますなア)
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分厚い板台の上にこぼれた焼酎を指につけ、丸をかき四角をかき、丸をかき三角をかき、丸をかき丸をかき、丸、丸、丸をかいてへらへら笑う。
この大した卑俗さは何の態。
ゆがめられた時間とコンプレックスのばけものにあえぎ、怠惰な性分をひた秘すピエロ。まるっきり噴飯もので可愛気もねえ。
脳裏総身もやもや黄色い。
今日ごま化して明日憎悪し、破れた生活の底にわだかまる何かが、冷え冷えと流れる空虚などろ水となって、しかもはけ口とてなく、惨めにも一と処でいぎたなく溜まっている。
抽象だの具象だの、いえさ何はともあれ描くことだと、百偏千偏、ダメ、ということばを聞かされて来た。まことにうるさいが、耳にはいってくるからへらへら笑う。そこで己のがはらばたに焼酎で作った像をつつく思いで、半ばあきらめ、半ば焼け糞、半ば、それとも、(いえ、嘘)身内のどろをひっつかんではなげようと手を振り上げては、もぞもぞ気恥ずかしく下ろして周囲を見回わす。
それからもっともらしく己にダメ、とシッタベンレイ。何とかなるさとめくら滅法ぶっつけりゃ、どろは手からはずれててめえの足元へぐしゃりと落ちて足を汚してくれる。泣きも笑いもできやしねえ。MUSEに対しての恐るべき冒涜、罪悪。此処に至っては名役者の名演技ご披露。
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何気ない素振りで辺りを見回し、澄ましこんでへんてつもない天空を意味あり気に眺めるという無頼漢。
そんなジブンであり、そんな、絵画なんですよ、私は。