内田春菊「あたしのこと憶えてる?」の解説から

 内田春菊の短篇集「あたしのこと憶えてる?」(中公文庫)の解説を漫画家の瀧波ユカリが書いている。

 本書の登場人物たちが行うセックスは、一部の例外を除けばべつだん過激でもアブノーマルでもない、愛撫と挿入のベーシックなものがほとんどです。なのに、自分が常日頃やっているものとは全然違う。絶対違う。
 例えば。

「舐めるの上手なの、思い出しちゃうよう……」
「舐めてやるよ。そこを」
「ああ。舐めて。あたしにも、させて」
「させてやるよ」
「おいしい。あんたの、おいしいの。いっぱい、食べさせて。舐めてるだけであたし、もう……」

 そう、彼らはセックスしながら実によくしゃべっているのです。感じながら、乱れながらも対話をおろそかにすることはありません。お互い声に出して求め、応じ、感想を述べ、実況を中継し、責め、許しを乞うています。そして、対話することによって、セックスそのものに明確な起承転結が生まれているのです。始まりがあって、駆け引きがあって、伏線があって、裏切りがあって、大どんでん返しがあって、結末がある。セックス自体がひとつの物語になっているのです。それにひきかえ、私のセックスは……(詳細略)。今まで何をやってきたんだろう! 久しぶりに内田作品のセックスシーンを読んで、大事なことをやっと思い出しました。そうだった、すべからくセックスはこのように対話をもってすべきであったのだ、と。すっかり忘れてたけれど、自分の携帯電話でラジオやテレビも視聴できることを不意に思い出した時のような気持ちです。分かりづらくてごめんなさい。いろいろ含めて猛省です。

 それで思い出したことがあった。「Weeklyぴあ」のコラム「はみだしYOUとPIA」から、

社宅に引っ越した友人の寝室は道路に面していた。
友人 「深夜まで通行人なんかの話し声が聞こえるんだよ」
私  「……筆談すれば。あ、そこいい。とか」
友人 「おまえ、いつもしゃべりながらするの?」

 吉行淳之介の「砂の上の植物群」が発表されたのは東京オリンピックの年だった。性的描写が話題になって、吉行が自分の読者は3,000人なのに何万部も売れたと驚いていた。それを現在読み返せば、妹の前で姉を縛ってするとか、過激なことは過激だが、一方で案外ノーマルでベーシックなもののようだった。ここ40年で日本のセックスがずいぶん大きく変わってきたのだろう、か。

あたしのこと憶えてる? (中公文庫)

あたしのこと憶えてる? (中公文庫)