石黒浩「ロボットとは何か」

 石黒浩「ロボットとは何か」(講談社現代新書)を読む。石黒は、著者紹介によれば「知能ロボットと知覚情報基盤の研究開発を行い、次世代の情報・ロボット基盤の実現をめざす。人間酷似型ロボット研究の第一人者。自身をモデルにした遠隔操作型アンドロイド『ジェミノイドHI-1』は世界中の注目を集めた。現在は、子供の認知発達や生体の基本的な仕組みに学んだロボットの開発にも携わる」とある。
 石黒は最初「コンピュータビジョン(画像認識=画像をコンピュータに理解させる研究)」で博士号を取得している。そこからコンピュータに認識が可能かというテーマに取り組み、さらに「人間とは何か?」ということを考え始めた。そして人間を理解するためにロボットの開発研究を進めてきたという。現在遠隔操作型のアンドロイドを制作している。ここで遠隔操作とは具体的にはインターネットを通じて、遠方からロボットを操作する。それがあたかもロボットに主体性があるかのように、人間と自然に対話する。石黒は劇作家・演出家の平田オリザの協力を得てロボットと役者が共演する芝居を作り、それが成功する。

 平田氏は、「役者に心は必要ない」と言い切った。平田氏の指示通りに動けば、必ず演劇の中で心を表現できるというのだ。(中略)
 この演劇は、これまでに、のべ4日間上演された。どの公演でも、終了後にアンケートをとったが、ほとんどの人が「ロボットに人間のような心を感じた」と感想を述べている。

 そして人間の心について、

「自分の心も、他人の心も、観察を通して感じることでその存在に気がつく」ということである。そして、そのように考えると、「ロボットでも人間のような心を再現できる」と私は思うのである。

 さらに石黒は、人間にも歴然とした心はないと言う。

 近い将来、人間のような心を再現できるロボットが我々の社会の中で活動するようになり、その姿形にこだわらず、我々が社会の一員として無意識にでも認めたとしよう。そうなったとき、そのロボットを分解してみれば、「ロボットが持つ人間らしい心は何であるか」が分かるはずである。ロボットの中には、機械とコンピュータのプログラムしかない。それらがどのようにつながっていて、どんな規則(ルール)でロボットを動かしているか、ていねいに調べればいいわけである。
 しかし、そこにはおそらく、「我々の期待するような歴然とした心はない」
 同様に、人間にも歴然とした心はない。
 これは私自身の限られたロボットの研究経験の中から導き出した、私自身の心の解釈であり、それほど間違っていないと思っている。(中略)
「心とは何か、感情とは何か、知能とは何か、意識とはなにか」という問題を突き詰めて考えても、何一つそれを端的に示す人間の機能はない。(中略)
「人間とは何か」ということを考えたとき、私がもっとも不思議なことは、実体のない「感情、知能、意識」という概念の存在をほぼすべての人が信じ、その概念に実感を抱いていることである。
 実感を抱くということと、本当に機能として存在するということは別のことである。実際にあるように感じることが実感であり、本当に存在することではないのだ。それなのに、実感を抱いているものに関しては、その存在を疑わない。

 何という過激な発言だろう。しかし、石黒はこう付け加える。

「心の存在を信じない人間や心を探さない人間は機械になる」
 心とか命とか、物理的に定義できないものを基準に、自分が誰か、他人が何を思っているかを判断しようとする行為はまさに、哲学であり、人間らしくもあると、私も思っている。
 心の実体がなんであるにせよ、人間にとって非常に大事なものだ。私も、論理的には心の存在を認めていないものの、実感としては心の存在を感じる。いわば、確信を持って否定できない人間の1人である。

 現在のロボット開発について、何か知ることができるだろうと思って手にした本から、心についての大変興味深い考え方を教えられたのだった。

ロボットとは何か――人の心を映す鏡  (講談社現代新書)

ロボットとは何か――人の心を映す鏡 (講談社現代新書)