子の仕事を親が理解できないこと

 北里晋「眼の人 野見山暁治が語る」(弦書房)に面白いエピソードが紹介されている。

 戦争に向かって動きだしている時代、絵描きは亡国の徒だと親父や世間が思い込むのも無理はない。しかし、ぼくが美校に通うのもパリに行くのも、苦々しい顔をしたものの、ともかく応援してくれた。ところが、いつまでたっても親父の分かるような絵にはならない。
 親父は炭坑閉山後、いろんな団体の名誉職をやった。教育方面の世話をするのが好きで、開館したばかりの福岡市美術館の協議会委員も引き受けていたらしい。そこで日展の巡回展を見てきたんだろう。「みんなうまい。素晴らしい。おまえはパリから帰ってきてまだこんな絵しか描けんのか」と言うんでね。がっくりなりました。
 ぼくが芸大の教授になったのも、親父は昔の人の感覚で洋行したからだと思っている。ぼくが学校を辞めて福岡へ帰ったとき、親父はぼくの腕をパッとつかんで「おい、ばれたのか」と聞いた。絵が下手なのがばれてクビになったと思ったんだな。

 似たようなことを間近に見たことがある。久保理恵子という画家の絵が好きで彼女のほとんどの個展を見てきた。VOCA展では府中市美術館賞ももらって府中市美術館の買い上げとなり、時々常設展で展示されている。彼女から案内状がきて、もう亡くなった彼女のお祖父さんである久保一雄展を椎名町のギャラリー五十嵐へ見に行った。そこには彼女はいなくて久保一雄の息子、つまり彼女のお父さんがいた。
 絵に関心のあまりなさそうなお父さんと共通の話題がなくて、娘さん久保理恵子の絵について優れた作品だということを話した。するとお父さんが、え、娘は飛行機雲を描いているんじゃないの? と驚いた。
 最近作は変わってきたが一時は紺色の地色の上に白いもやもやしたものを描いていた。抽象なのだが、お父さんはそれを飛行機雲と見ていたのだ。
 親は子の仕事を理解しないというか、子は親になんて自分の仕事を説明しようとしないのだろう。
 久保理恵子についてはこちらに書いたことがある。
「久保理恵子の絵を見て」(2006年6月25日)