森山大道『通過者の視線』を読む

 森山大道『通過者の視線』(月曜社)を読む。森山はストリート・スナップのカメラマン。すでに120冊以上の写真集を出版し、美術館での写真展も、ロンドンのテート・モダンやパリのカルティエ現代美術財団、サンフランシスコ近代美術館をはじめとするアメリカ各地の美術館やスイスの美術館など、国内でも東京都写真美術館東京オペラシティ・アートギャラリーなど枚挙にいとまないほど各地で開催されている。現在も品川のキャノンSタワーと渋谷区神宮前のAMで写真展が開かれているようだ。
 本書は森山の写真も少し挿入されているが、いろんな機会に書かれたエッセイをまとめたもの。ほとんど写真に関連した文章が集められている。自伝的なものや写真集出版に関連して書かれたもの、先輩や仲間の写真家について書かれたものなどだが、深瀬昌久中平卓馬東松照明、井上青龍などを語っているのが良い。
 中では「面影記」と題されたエッセイが出色の出来だった。森山が26歳の時に知り合って3年間ほど付き合った3歳年上の女性の思い出を書いている。当時森山はすでに妻子がいたが、仕事のために東京に事務所を借りて住んでいて、彼女と深く付き合った。森山が29歳のとき、ある賞の新人賞をもらった。いつも金欠病だった森山はよく彼女にフィルム代や印画紙代を出してもらっていた。それで賞をもらったあと、やや改まった感じでひとことお礼を言った。「別れてしばらくたった頃S子から最後の手紙が届き、いろいろと気持ちの整理を済ませたなどと書いてあり、終わりの方に、アナタから賞のお礼を言われたときが二人の時間のなかでいちばんうれしく、もうあれで充分でした、といった意味のことが記されていた」。
 18年後、ふと乗った電車が停まった駅が昔彼女が住んでいた駅名だった。思わず降りて、昔彼女が住んでいたアパートへ行ってみる。「階段に錆びて並ぶ郵便受けのひとつに、まぎれもなくS子の名前があった」。ドアの前に立ち、衝動的にドアをノックする。もう一度ノックして5秒待ち、素早くドアを離れて急いで階段を下りて路上に戻った。

……留守であったのであろうか。待っている5秒の間に、ぼくはさっと我に帰ったのである。胸が鳴り汗がどっと吹き出した。よかった、留守でよかったと思った。もし留守でなかったとしたら、46歳のぼくが50歳に近いS子と再会していたことになる。それでいったいぼくはどうしていたというのだろうか、もしかりにうわべをとりつくろい合ったとしても、お互いに、たとえようもない無惨な時間を持ったはずである。もしかしたら、とり返しのつかない冒瀆行為をしていたことになる。いや、もうすでにしていたのだ。ぼくは自分をせめはしなかったが、自身に対して砂を噛むような後味を味わった。しかし、あの瞬時の空白の行動はいったい何であったのだろうか。それは、懐かしさなどではなく、ぼく自身のなかの哀しみでもあったろうが、S子への哀しみであったのかもしれない。分からない。ぼくは夕方の街頭の人ごみにまぎれて渋谷に帰った。

 このエッセイは飛び抜けて良かった。もう少し膨らませれば短篇小説ができるのではないか。とは言うものの、「46歳のぼくが50歳に近いS子と再会して」何が問題なのだろう。懐かしいと思うのだけれど。
 「宮本常一・撮り狂った人」というエッセイも良かったけれど、文体にちょっと違和感を感じた。最後に「(談)」とあって、これは森山がしゃべった内容を編集者が記録したものだった。



通過者の視線

通過者の視線