「私、」を多用する男

「私、」を多用する男がいた。「私は」でなく「私、」だ。「私は」と言ったときその主張には明らかに責任が伴うだろう。そのように「私は」考えるのだ。
 ところが「私、」と言ったとき、続く言葉と「私、」の関係はあいまいにされている。「私、」と言って1拍置いている。その「私、」は必ずしもそれに続く言説を十全には引き受けない。そのようにあいまいにしておくことができるから多用することができる。「私、〜〜」「私、〜〜」と。言うならば責任に結びつかない軽い主張を垂れ流しているのだ。