日本仏教の特異性を知った

 日本人は今でも戦没者の遺骨収集を行っている。遺骨や墓にこだわるのは日本人に特有のようだ。そのことを私は今枝由郎「ブータン仏教から見た日本仏教」(NHKブックス)で知った。チベットブータンは現在最も原始的な仏教が残っている地域だ。

 葬式のあと、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌といった法事は、日本仏教ではごく普通のことであり、さらには五十回忌、百回忌とかも営まれることがある。(中略)
 葬儀がもっとも盛大で費用がかかる法要であることは、全仏教圏共通であり、ブータン仏教でも、故人のためにできるだけの追善はする。しかし回忌法要があるのは、日本だけである。それは、仏教の輪廻思想からすれば、当然である。つまり、一般の場合、死後最長四十九日間で次の生まれかわりが決まるわけで、その間にできるだけ追善行為をすれば、故人によりよい生まれかわりが期待できる。しかし、すでに生まれかわった人(もっとも、人として生まれかわっているかどうかはわからない。ひょっとしたら犬か猫かもわからない)に、数年後に改めて追加の追善法要を営む根拠はない。

...たしかに、仏教圏広しと言えども、仏教としての墓があるのは日本だけである。先祖崇拝と関連した日本的な背景があるとは言え、墓は本来の仏教には存在しない異質なものであることは間違いない。

 まず第一に、お墓があるのは、仏教国では日本だけである、ということを認識する必要がある。日本人は、仏教と言えば、お墓を連想するほど、お墓は仏教にとって不可欠のもの、仏教の一部だと、思い込んで、お墓のない仏教など夢想だにもしない。しかし、現在仏教が信奉されているアジアの各地を訪れれば明らかなように、お墓はどこにもない。たとえばチベット仏教では、土葬、水葬、火葬、そしてよく話題にされる「鳥葬」あるいは「天葬」と、さまざまな遺体の処理方法があるが、いずれの場合にも、お墓はない。きれいさっぱり、人間は自然に回帰する。火葬の場合、遺骨、遺灰が出るが、多くの場合、これは近くの川に流すだけである。

 本来の仏教では墓にも遺骨にもこだわる必要はないらしい。そのことを知ってずいぶん気持が楽になった。このことに限らず、本書は目から鱗が落ちることが多々書かれている。読んで面白いことは保証する。

ブータン仏教から見た日本仏教 NHKブックス

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