「エーゲ海に捧ぐ」を読み直す

 昔池田満寿夫芥川賞受賞作「エーゲ海に捧ぐ」を読んだとき、主人公を妻が非難する内容が自分のことによく似ていると感じた。もう30年以上も前だ。もう少し詳しく知りたいと思って読み直してみた。
 主人公は1年半も前から日本にいる妻と離れてアメリカで暮らしている。付き合っているアニタのヌード映画の撮影の現場にいる主人公に日本の妻トキコから電話がかかっている。映画を撮影しているのはアニタの友達のグロリア。

 グロリアがまた前を横ぎり、トキコの声がはじまる。わたしたちは十年も一緒にいたのよ、と言っている。
 ーー十年前、あなたは二十五歳だった。あなたはネクタイのしめかたも知らずジンフィーズを飲んだことがなかった。キッスの仕方だけは、ばかにうまかったけど、盛り場をのら犬のようにさまよい、どぶねずみのような目つきで、いつもおびえていた。

 このトキコは最初に池田満寿夫が付き合っていた富岡多恵子が色濃く投影されているだろう。富岡は池田より1歳年下だが、知性も文学的にもはるかに優れていたし、いまでは戦後の重要な作家の一人だ。トキコのこの非難は全くそのとおりだろうし、池田もそのことを肯定している。
 私とカミさんの関係も主人公とトキコの関係にこの部分でだけよく似ている。私は浮気を非難されたことはないし、家族を捨てて長いこと別の土地に行っていたこともない。ただ、カミさんだったらもと鋭くいろいろと批判してくるだろう。
 あなたは洋服の着こなしも知らず、買い物の仕方も分からず、店員との口の利き方も知らなかった。料理も知らなかったし、電話の受け答えもも私が教えてやったのよね。いやもっともっと言われるだろう。何の反論もできない。
 さて「エーゲ海に捧ぐ」については、ここの箇所以外すべてつまらなかった。どうしてこんな作品が芥川賞に選ばれたのだろう。エロティックな描写に選考委員たちが混乱してしまったのだろうか。文章もリズムがなくて下手だと言える。ほかに「ミルク色のオレンジ」と「テーブルの下の婚礼」が収められているが、どちらも読むに耐えない代物だ。
 それでも1カ所だけ有益な部分があった。あとがきでなぜ画家が小説を書くに至ったかが記されている。

 何故私が文学にはまりこんだかということについて、若干の説明をしておきたい。
 私はアメリカ東部の小さな町に住んでいるので、まずほとんど日本語を喋るチャンスのない状況におかれている。それに遊びに行く場所もない。そうかといって朝から晩まで絵ばかり画いているわけにはいかない。また日本語が喋れないから、どうしても頭のなかで日本語のひとり言をいうようになる。いつも頭のなかが言葉でいっぱいになってくるのである。言葉、言葉、言葉。日本語で何か書かずにおれなくなったのはたぶんこのためだったのだ。

 驚いた。これは画家で優れたエッセイストでもある野見山暁治の経験と一緒なのだ。野見山は「遠ざかる景色」(筑摩書房)で書いている。

 私は絵を描いている人間だから、言葉にして自分を表現するというような事はあまり必要ではない生活環境に生きてきた。ところが三十代をパリで過ごしてからは、フランス語がまるっきり判らないために、どうにもモドかしい生活を余儀なくされた。その土地の言葉を覚えようとあくせくしてみたが、あの厄介な文法用語がまず意欲をさえぎって、私は羞らいもなく尻尾をまき、無言でおし通すより致し方ない歳月を過ごしていった。現に住んでいる所で、殆ど自分の意志を表現できなくて生きていたらどうなるか。口の中でボソボソ呟き、果ては悲しく愚痴になる。それをすべて日本語で心に刻んでゆくわけだ。結局、日本語を四六時中、反芻しているようなもので、日本に居た頃より私は日本語で喋るのが、うまくなり、腹いせだかなんだか、とうとうパリで十年近くたったころ、六百枚の原稿を書きあげてしまった。

 これは以前「名文の秘密ーー野見山暁治の文章修業」(2007年8月17日)で紹介した。
 また「エーゲ海に捧ぐ」(中公文庫)に戻るが、勝見洋一の解説がちょうちん記事で小説以上にひどかった。

エーゲ海に捧ぐ (中公文庫)

エーゲ海に捧ぐ (中公文庫)