それぞれの当たり所

 以前ポルノ小説のさわり(だけ)を書いて友人のS島君に送ったら、お前こんなのダメだよ、ポルノなら重松清の「愛妻日記」だよとの返事が返ってきた。早速「愛妻日記」を読んでみた。私には全然当たらないのだった。人それぞれに当たり所があるらしい(何の?)。
 6月18日の朝日新聞夕刊に東京都現代美術館で開かれている大岩オスカール展の展評が載っていた。評者は大西若人、好意的に書いている。その一部を抜粋する。

 闇の中で見る明かりは、希望の光。しかしそれが赤色灯なら、不安を覚える。日系ブラジル人2世の画家、大岩オスカール(65年生まれ)の絵画は、そんな光の二面性を備えているのではないか。初期から最新作まで約80点を集めた個展会場で、そう考えた。
 大岩は、幼時から親しむマンガにも通じる輪郭の明確な表現で、社会風刺的な題材を描く。風刺表現は説明的になる危うさをもはらんでいるが、それを回避できている作品も多く、そこには柔らかなタッチによる光の効果が見える。
 自分が暮らす東京・下町の光景を主に描いた90年代後半から、陶然とするような淡い輝きと不穏な気配を兼ね備えた光の表現で、希望と不安やいらだちを表現してみせた。その傾向は、9・11の記憶も生々しい02年に活動拠点をニューヨークに移して以降、顕著になる。(後略)

 この展覧会は私も初日に見た。大岩オスカールは1965年生まれ、昭和40年生まれだ。この年に生まれた会田誠大岩オスカールパルコキノシタ、松陰浩之、明和電機土佐正道らの結成した昭和40年会のメンバーの一人だ。
 大きい画面にシュールな風景が描かれている。それが立ち上がってこない。なんだかイラストをみているようだ。大西若人には当たったこの大岩オスカール展が、私には全く外れたのだ。人それぞれに当たり所があると言ってしまえば芸術はあやふやなものになってしまう。私は自分の感覚を信じていよう。