金井美恵子の毒舌

目白雑録 (朝日文庫 か 30-2)
 金井美恵子「目白雑録(ひびのあれこれ)」(朝日文庫)を読む。本来匿名で書くような辛辣な評が金井美恵子の実名で綴られている。書かれた当事者は髪かきむしるくらいたまらないだろうが、批評が当たっていて読者としては限りなく楽しい。続編も出版されていて、さらに雑誌「一冊の本」には続きが連載されているという。ここにその内のいくつかを紹介したい。

 あきれたのは「新潮」5月号の、島田雅彦「未刊の辞ー『美しい魂』は眠る」である。「新潮」と「文学界」には、なんと、またまた『声に出して読みたい日本語』の齋藤孝が登場していて、ベストセラー『粗食のすすめ』の国語版というか、戸塚ヨットスクール国語ヴァージョンに相田みつをが入っているといった類いの齋藤を、なぜ「新潮」と「文学界」が重宝に使うのかと言えば「新潮45」と「諸君!」を出している出版社なのだから当然とはいえ、それはさておき、「未刊の辞ー『美しい魂』は眠る」である。『美しい魂』という小説は、「前代未聞の恋愛小説」として『彗星の住人』の続篇として構想され書かれたのだが、書きあげた〈カタルシスと引き換えに2年ぶりに寝込んで〉しまう程の〈心血を注いだ作品〉で、そのことを〈私は自慢しております〉というのだが、こういう場合、普通には、自信たっぷりに「自負しております」と言うのではないか、(後略)

 例の「新しい歴史教科書」が話題になった時、(中略)教科書編者の一人、ドイツ文学者だとかいう西尾幹二(この名前が思い出せなくて、1時間ばかりいらいらする)の顔がテレビに映るたびに『仁義なき戦い』の、あの卑怯な親分の金子信雄(顔をゆがめて口をとがらせて薄笑いを浮べる演技)にそっくりで、「新しい歴史教科書」が、仮りに正しいとしても、『仁義なき戦い』の金子信雄がテレビで宣伝活動したんじゃあ、ただしくないことが映像的に伝わっちゃうよ、強い者に迫られると、腰を抜かして、許してくれ、許してくれ、金、金なら、やるぞ、と叫んで女房にまで軽蔑される、広島の金子親分の「歴史教科書」だよ、などと思い出す。

……笑っちゃうというか、そのよくわからない「意味」に首をかしげてしまったのが、「シルバーパス」に関する石原慎太郎上坂冬子(という女がいるらしいのだ。引用文から推定年齢は70すぎということがわかる)のギャグである。バアさんの方は、都営交通網の無料パスをアテにする、という発言を「冗談」と言っているのだから、無料パスなど全然必要ではない階層のバアさんだということは理解できる。しかし、〈知事は大まじめに「私も該当者だ」と答えた〉というのは、意味不明である。ジイさんの答えも意味がわからないし、それをコメントの中で引用するバアさんの真意も不明である。これを読むかぎり、まるで知事が都営バスの無料パスを利用して都庁に通っているように読めるではないか。(中略)私も該当者だ、というのはそういう意味になるが、まさかそうは考えられないから、私も該当者だ、というのは、自分も70過ぎの世に言うジイさん(生殖能力はもしかしたらあるかもしれないので、子供は、まあ産めないバアさんより有用な存在)だ、と単に言ってみたかっただけのことなのだろうか。

……何年も前に読んだ(島田雅彦)の小説に関して言えば、それは相当に稚なく惨たるものであった、という印象は残っているものの、私が「執拗」に「揶揄」しているのは(中略)斎藤の言う、〈多くの人々が指摘するように、島田の資質は一見したところ、小説家よりは批評家向きであるようにみえる。私もそのように考えたことがあった。しかし、それはやはり誤解なのだろう〉(斎藤環「文学の徴候」)といった親切な島田観(?)とも全然なんの関係もないことで、単に、馬鹿なことをエッセイの中で書いたり、対談の場で発言しているのを眼にして、あきれるからにすぎない。

 その他コケにされているのは、加藤典洋、絓秀美、水村美苗等々。いまこれだけの毒舌家はいないのではないか。