中央線沿線のラリリスト

mmpolo2007-04-14




 「チベベの唄」の作者、恵口烝明から一度だけ手紙をもらったことがある。1970年のことだ。

 9月4日付のあなたからのお便りを8日に受けとりました。
 昨年、わたしが貨物船に乗っていたとき(航海中)に出版された”衛星都市の彼方で”は発行部数がきわめて少なく、悲常に残念なことですが、もはやわたしの手もとにも、出版元の”他人の街社”にも一冊の在庫もありません。したがってあなたにお送りすることが決定的に不可能であります。
 オオサカではあまり読まれていませんが新宿を中心に、ラリリストたちからもわたしのもとへ、あるいは出版元あてに、よく問い合わせが来ますが、現在に至っては、それらすべての人たちに〈ご期待にそい得ない〉通知をしなければならず、わたしの方としても残念なことです。そういうわけで、事情をおふくみの上、ご承しょうねがいたいと思います。
(原文のまま)

 この手紙にラリリストとあるが、睡眠薬を使ってフラつくことを「ラリる」と言い、ラリっているとか、ラリパッパなどと言った。ラリリストという言葉は使った覚えがないが、まあ言ってもおかしくはない。
 当時新宿の「ふうてん」たちがよくやっていた。私はふうてんでも「新宿のラリリスト」でもなかったが、中央線沿線の準ラリリストだったろう。当時一般的だった睡眠薬がハイミナールで、古くからあったのがブロバリンだ。ブロバリン歌人の岸上大作や奥浩平が自殺に使った。服用するといずれも中枢神経が麻痺して酒に酔ったような感じになる。私たちは友人の三木良吉(今はどこにいる?)が、病院に勤める彼の友人から横流ししてもらったバラミンという向精神薬を使っていた。バラミンは強力な睡眠効果があったが、覚醒した時にラリっていたときの記憶が一切なくなって困った。ずいぶん恥ずかしいこともしたようだ。
 ちょっとだけ顔見知りだった自動車学校の社長の息子もラリリストで、いつもサンダーバードを乗り回していた。この車には女は乗せないんだと突っ張っていた。彼は最高の睡眠薬は英国リリー社のモノフォーンだと言っていた。通り名がリリー、滅多に手に入らないと言う。私は使う機会がなかった。
 睡眠薬の規制が厳しくなって若者はシンナーに流れたのだ。シンナーは一度も使わなかった。そのようなものを使わなくても酔うには酒で十分になっていた。