驚くべき旧東ドイツの美術

mmpolo2007-04-09




 宮下誠「20世紀絵画ーモダニズム美術史を問い直す」(光文社新書)が興味深い。
 「第一章 抽象絵画の成立と展開」では18人の抽象画家が取り上げられる。マネ、モネ、ゴッホ、ゴーガン、セザンヌピカソ、ブラック、マティスカンディンスキー、クレー、マレーヴィチモンドリアンシュヴィッタースポロック、ロスコ、ステラ、クリスト&ジャンヌ=クロード、レト・ボラー。
 続いて「第二章 具象絵画の豊穣と屈折」でも18人の具象画家が取り上げられる。ベックリンムンククリムトデ・キリコ、キルヒナー、マルク、ベックマン、デュシャンマティス、ディックス、ダリ、ピカソ、クレー、藤田嗣治、エルンスト、ウォーホル、バゼリッツ、キーファー。
 そして実はこの2つの章の間に短い「間奏 《旧東独美術》の見えない壁」が挟まれていて、これが極めて興味深いことを綴っているのだ。
20世紀絵画 モダニズム美術史を問い直す (光文社新書)

 筆者が経験した極めて私的な「衝撃」についてお話することをおゆるしいただきたい。(中略)
 筆者は2005年夏、ライプチヒをはじめ幾つかの旧東独の都市を回った。その地の現代美術を調査することが目的だった。そして筆者はここで大きな「衝撃」を受けたのである。
 ネオ・ラオホ(1960ー)をはじめとする筆者と時代時間を共有する同時代美術の迫力もさることながら、ベルンハルト・ハイジヒ(1925ー)、ヴォルフガング・マットホイアー(1927ー2004)、ヴェルナー・テュプケ(1929ー2004)、ヴィリ・ジッテ(1921ー)、ハインツ・ツァンダー(1939ー)、アルノ・リンク(1940ー)、ジークハルト・ギッレ(1941ー)ら社会主義体制下にあった旧東独時代の美術家たちの作品に漲る莫大なエネルギーに筆者は文字通り眩暈したのである。
 社会主義リアリズムを標榜した旧東独の美術界で仕事をしていた彼らは、当然のことながら、強制もあったろうがおそらく多くは自発的に、具象絵画を描いていた。ゲオルク・バゼリッツ、ゲルハルト・リヒタージグマール・ポルケ、A. R. ペンケら旧東独地域出身者でありながら1961年、ドイツが壁によって東西に決定的に分断される前後西側に移った作家たちもまた多く具象表現によって作品を生み出して行ったが、彼ら、今日では美術マーケットのスターとなった者たちと、旧東独にとどまり続けた先の画家たちとの具象表現との間には明らかな違いがある。西側に移った画家たちと壁崩壊後にはじめてその全体像(全貌とは到底言えない)がおぼろげに見えはじめた作家たちとの間には実際相容れぬものがあるらしい。
(中略)
 改めて書く。筆者は圧倒された。具象表現のとてつもない可能性にである。
 今では引っ張りだこのリヒターやポルケの作品のルーツを見る思いがしたと同時に、彼らとは全く違う屈折や複雑怪奇な観念、その多様性に虚を突かれた。今まで筆者は何を見てきたのだろうか?
 筆者は唖然とするほかなかった。彼らの作品の多くは「新表現主義」的相貌を共有しながらもそれぞれ大きくかけ離れた性格を持っている。ある作家は強制的に、ある作家は自発的に、またある作家は比較的無頓着に具象絵画を描き続けた。それら膨大な作品群は西側中心のモダニズム美術史、美術史観、様式分析では到底解釈しえないものだ。正直今でも筆者の手に余る。それでもなおさらそれら「わかる絵画」は圧倒的な力に満たされ、観者の解釈を求めているように見える。いや、筆者にはそれらの作品が鋭利なナイフをこちらに突きつけ「さあ、どうする」と迫っているようにさえ感じられる。
 彼らの作品の多くは何が描かれているかという点ではひどく単純だ。労働者の集い、恋人たち、旧東独の文化的英雄の肖像、農民戦争などの歴史的主題。見ればすぐにそのおおよそは知れてしまう。しかし、ひとたびその意味をより深く探ろうと作品に近づくとき、それぞれの作品はひとしなみ寡黙になる。筆者の作品への問い掛けが、いわば間違ったパスワードのようにアクセスを拒否されてしまうのだ。筆者が受けてきたモダニズム美術史の基本的知識では開くことのできない「見えない壁」がそこに立ちはだかっている。(後略)

 どうか本書を直接手にとって続きを読んでみてほしい。この著者にほかに「20世紀音楽ークラシックの運命」(光文社新書)もある。

※写真はキクモモ、花びらが菊のよう、いま満開だ。