乳房はオーラをまとっている

 夏のことだった。池袋東武デパート地階の出口、小さな人工池と地上へ登るエスカレーターのある広場あたりで女性が二人争っていた。それもかなり激しい争い方だ。二人とも無言で。野次馬が遠巻きに見ていた。一体何事か、どちらが被害者かと思ったが、どうやら一人はデパートの防犯担当か何からしいと見当がついた。相手の女性が徹底的に反抗している。男の店員は誰も手出しをしないでいる。相手が若い女性のせいなのか。いったんは店内にまでもつれこんでそこで取り押さえられたのに、また逃げだそうとして今度こそ完全に組み伏せられた。あまりに激しく抵抗したのでブラウスのボタンもちぎれ、下着もはずれて乳房が露わになっている。ようやく男のガードマンたちが現われ店の奥へ連れて行った。おそらく万引犯なのだろう。中国人か中国系の外国人のように見えた。だからあんなに抵抗したのだろう。捕まったら本国へ送り返されるかも知れないから。
 女性の乳房を見て性的な何の感興も湧かなかったのは初めての経験だった。それは単なる身体の一部、腕とか首とかと変わらないただの肉体だった。してみると普段はそうは見ていないのだ。乳房には性的なオーラが付きまとっている。決して価値ニュートラルな「もの」には見えないのだ。今回の異常な状況の中におかれて乳房が初めて「裸」で現れた。それは不思議な体験だった。「価値」がはぎ取られ「意味」だけが残っている現場に直面した不思議な体験。