Ritsuki Fujisakiギャラリーの山本れいら展を見る

 東京東日本橋のRitsuki Fujisakiギャラリーで山本れいら展が開かれている(5月8日まで)。山本は1995年東京生まれ、10代で渡米し、シカゴ美術館附属美術大学で学んだ。2020年にギャラリーMoMo六本木でグループ展に参加し、2021年に三越前の画廊で初個展を主なっている。ギャラリーのホームページに作品の詳しい解説が載っているのでぜひそれを読むことをお勧めする。その一部を紹介する。

 

コマーシャルギャラリーでの初の個展となる本展は、男性の視点に偏って提示されてきたアニメカルチャーに対して、女性からのフェミニズムの解釈を加えた作品を通して新たな視点を作り出すことを目的としています。(中略)

本展示タイトルと同名の「Who said it was simple?」シリーズは、階級化された力の不均衡や他者性が存在するはずの女性たちそれぞれの問題が、「simple」に「女性」の問題として単純化されてしまうことに抵抗するための作品群です。こうした単純化によって様々な背景を持つはずの女性たちは、よりマジョリティの「女性像」に同質化されてしまい、それぞれが受けていたはずの異なる差別や抑圧が不可視化されてしまいます。マジョリティへの同質化に迎合することを拒み、お互いの他者性を保ちながら連帯しようとすれば、衝突や痛みは避けられません。しかし家父長制を真に打ち破り、フェミニズムを社会的に達成させるには、こうした「simple」な力学に抗わなくてはならないのです。(中略)

ビヨンセの歌のタイトルを引用した「Flawless」シリーズは、サンプリングされた美容外科や歯科の広告イメージにアニメの少女像を重ね合わせています。広告イメージで強調される「笑顔、白い歯、なめらかな肌、美しい顔」の「完璧な成人女性像」はそのまま女性たちに向けられる抑圧となり、少女アニメで繰り返し描かれてきた「成長して自由を獲得していく」という物語と逆行するものです。(中略)

オキーフのような女性アーティストによる作品が男性からのまなざしによって安易に性器と結び付けられてしまったように、少女向けアニメもまたしばしば男性のオーディエンスによって性的な消費の目線に晒されています。

社会的な下位に置かれながらも、同時に男性からの性的なまなざしがついてまわる女性文化を取り巻く現実に対する作家の批判が込められているのです。

 


 可愛いアニメの少女を描いているように見えながら、山本は深くフェミニズムの問題を扱っている。ぜひホームページの解説を読むことをお勧めする。

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山本れいら展「Who said it was simple?」

2022年4月15日(金)―5月8日(日)

13:00-20:00(火~木 休廊、祝日開廊)

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Ritsuki Fujisakiギャラリー

東京都中央区日本橋2-2-10

電話070-4072-2934

“Calcite on Myth: Myth” by YAMAMOTO Shohei from 20220311 to 20220403 - Ritsuki Fujisaki Gallery

 

 

 

身内の語る西郷孤月のこと

 西郷孤月は橋本雅邦の弟子、大観、春草、観山とともに四天王と呼ばれた。私の岳父の妻は西郷孤月と親戚で、その生家は西郷と言った。松本市の城山に西郷家の墓があり、そこは松本の武士の墓地だったという。西郷家を中心に松本市に西郷孤月を研究し顕彰する「西郷会」がある。その西郷会に関係して、岳父が孫に孤月について書いた手紙を紹介する。

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嘉代子(妻)が病気になる前、御先祖様から「セッツカレタ」のか、西郷家のことに夢中になり、私をコキ使って松本の古い地図を写させたり、古文書を読ませたり……尤も私もそういう仕事は嫌いではなかったので楽しんでやりました。そんなときと孤月会が一緒だったので、嘉代子も喜んで勇んで参加、だからこの本(『孤月研究ノート』孤月会発行、2013年)のアチコチに彼女の入った写真が載っています。

 孤月さんは明治6年に生れ、明治45年(大正元年)に死んでいます。嘉代子のおバーちゃんが(この人は孤月と同年代)「放浪の画家がいたがどうしておるかのう」とよく言っていたと。孤月が死んで20数年たっていた筈。でも消息がわからなかったのですネ。西郷家の一族は彼をヤッカイ者と思っていたのかも。

 何せ当時画壇の大御所橋本雅邦の娘を貰い、狩野派の後継者とも目されていたのに、結婚1年足らずで離婚してしまう。「恩師とその娘を裏切った」というので極めて評判が悪かったらしい。西郷一族は肩身の狭い思いをしたのだと思う。で、孤月は帰松(松本へ帰ったこと)した時でもどの西郷家へも泊っていない。友人・知人・後援者の処へ身を寄せたようだ。浅間(温泉)の風呂屋とか、つくり酒屋とかへ泊めて貰った様で、そう云う処には作品も残っているが、松本の西郷家では持っている家はありません。大坂の母方の親るいはよくしてくれた様ですが。矢張り母チャンは偉大です。

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 以上曽根原正次から孫への手紙。写真を見ると隔世遺伝らしく、正次さんの息子(孫の叔父)は孤月に似ているように思う。

 

 

矢代幸雄『藝術のパトロン』を読む

 矢代幸雄『藝術のパトロン』(中公文庫)を読む。国立西洋美術館設立の基となった松方幸次郎コレクション、三渓園の原三渓大原美術館を作った大原孫三郎と総一郎親子、福島コレクションの福島繁太郎の4組の大コレクターを取り上げている。

 松方幸次郎は川崎造船所のオーナーで、第1次世界大戦の好景気のために自由に使える金が3千万円できた、それでヨーロッパの油画を買って日本のために立派なコレクションを作りたいと言った。松方の3千万円というのはどれくらいの価値か。当時矢代はパリで1カ月200円少しくらいで生活できた。横浜からロンドンまで40日もかかって1等の船賃全部を含んで800円くらいだった。その大金で油画を買い集めたのだった。

 しかし戦後フランス政府は松方のコレクションを敵国の財産として没収する。それを地道な交渉によって日本に寄付させることができた。その条件にそれらを収蔵する美術館を作ることとなって国立西洋美術館ができたのだった。

 三渓園の原三渓は跡見女学校の歴史の先生だった。横浜の豪商原家の令嬢が跡見女学校に入学して先生を見初め、原家の養子となって三渓園の当主となり、生糸の輸出で成功していた資産を使って膨大な美術コレクションを作った。主に日本の古美術を収集したが、奈良の三重塔など古建築をも収集し三渓園に移築することになる。三渓園が広いのでそれが可能だった。

 しかし、第2次世界大戦の横浜空襲で三渓園の建物は大きな被害を受けてしまった。

 大原美術館は大原孫三郎が設立した。大原孫三郎は父の倉敷紡績を継いで倉敷レーヨンを創め中国銀行も経営していた。若くして社会厚生事業に目覚め、社会厚生施設や大原社会問題研究所、農学研究所などを作った。大原に影響を与えて社会厚生事業を始めさせたのが石井十次で、その石井がほれ込んだのが児島虎次郎という画家だった。石井は児島を大原に託し、児島はヨーロッパに3度も留学させてもらっている。美術館はこの児島の希望によってできたという。

 大原孫三郎が戦中に亡くなったのち、後を継いだ大原総一郎が優れた西洋美術を収集して現在の大原美術館ができあがっている。さらに倉敷民芸館と倉敷考古館を作り、運河沿いに3つの建物が並んでいる。

 福島コレクションについては20ページほどが割かれていて、あまり詳しくは書かれていない。現在銀座5丁目にあるフォルム画廊は福島繁太郎が創立したものだ。

 日本のパトロンたちの歴史が分かってとても勉強になった。ただ、偉大なパトロンたちの業績をたたえているが、批判的な視点がない。三渓園の戦後、生糸の相場が暴落してその結果コレクションが散逸したのか、そういった視点も知りたかった。

 

 

 

ガルリH(アッシュ)の高山瑞展を見る

 東京日本橋小舟町のガルリH(アッシュ)で高山瑞展「やまびこ」が開かれている(4月30日まで)。高山は1993年神奈川県生まれ、2016年に武蔵野美術大学造形学部彫刻学科を卒業し、2018年に東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了している。グループ展にはいくつも参加しているが、今回が3回目の個展となる。

 高山は木彫を作っている。その作品は奇妙だ。高山のテキストによれば、

 

 ……余白に書かれる文字と図像の関係性に焦点を当てています。(中略)

 字を学び始めた幼い頃、教科書や黒板に書かれる文字を見て、「絵といっしょだー」と思いながら夢中でノートをとった記憶があります。教科書の頁には文字が書いてあり、その横に意味を示す絵がありました。往来してみることで両者を結びつけ、そこに音も加わって、私たちは文字を学んでいきます。互いに同じ意味を示すのに、かたちは全然違います。なのにたった数文字をみてそれがなにを示しているのか、どうして想像ができるのでしょう。

 



 高山は木にひらがなを彫っている。時にその横に教科書のように意味を示す絵が彫られている。「ひ ふ み よ い む な や こ と」と一文字ずつ彫った作品もある。彫られたひらがなは柔らかく、とてもユニークな仕事だ。

 初個展でも「王義之の蘭亭序」を彫っていた。昨年の個展を見逃してしまったのが残念ではある。

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高山瑞展「やまびこ」

2022年4月17日(日)―4月30日(土)

12:00-19:00(最終日17:00まで)月曜休廊

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ガルリアッシュ galerie H

東京都中央区日本橋小舟町7-13東海日本橋ハイツ2F

電話03-3527-2545

https://galerie-h.jp

東京メトロ銀座線・半蔵門線 三越前駅A1・B6出口から徒歩5分

(高山の高はいわゆる梯子の高、瑞はみどりと読む)

 

 

藍画廊の瀧田亜子展を見る

 東京銀座の藍画廊で瀧田亜子展が開かれている(4月23日まで)。瀧田は1972年東京都生まれ。2年間ほど中国へ留学し書を学んできた。毎年ほぼ2回の個展を繰り返してきて、旺盛な制作意欲を示している。

 前回の個展から作風に変化が見られてきたが、今回はそれを一層推し進めている。私は野見山暁治との響きあいを感じるのだが、瀧田はこの変化について、最近よく絵具が付くようになったからと韜晦するように言う。



 思えば瀧田は初期の繁茂する樹木の具象的な作風から、ついで揺らぐような図形のパターン的な造形を展開してきた。前回から今回にかけてそこから新たな熱い抽象へと一歩を踏み出しているかのようだ。

 瀧田の新しい挑戦が興味深い。

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瀧田亜子展

2022年4月18日(月)―4月23日(土)

11:30-19:00(最終日は18:00まで)

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藍画廊

東京都中央区銀座1-5-2 西勢ビル3階

電話03-3567-8777

http://igallery.sakura.ne.jp/