山本弘の特質

 わが師山本弘について、その作品に分からないことが少なくなかった。それがここ半年理解が深まった気がする。さて、山本弘の特質を3つのキーワードで表せば次のようになるだろう。

 それは、「アンフォルメル」「象徴派」「アル中」である。山本は終戦時15歳だった。熱心な軍国少年だった。そのため終戦によって日本の方針が転換したことで、山本の価値観が大きく混乱した。はじめヒロポン中毒、ついでアルコールに溺れた。アルコールは山本の生涯を通じて離れることはなかった。34歳ころアル中から脳血栓になり半身と言葉が不自由になる。さらに43歳の時にも脳血栓が再発してさらに半身不随が進行する。アル中が山本の生活を無頼ともされる破壊的なものとし、不自由な手足が精密な繊細な筆触を不可能とした。荒々しい筆触が山本の特徴となった。

 アンフォルメルは山本の絵画の基本となった。おそらく『芸術新潮』の誌面で知ったアンフォルメルの運動は、理論的なものではなく、直感的なものだった。私は山本の口から「抽象には熱い抽象と冷たい抽象がある、僕のは熱い抽象だ」とか、「僕はタシスムだ」と聞いたことがあった。どちらもアンフォルメルの概念だ。さらにフォートリエの作品から強い影響を受けたと思う。その「人質の頭部」という作品、中央の人質の顔が厚塗りで、周囲が薄塗りになっている描き方を山本は踏襲している。顔などを厚塗りにし、周囲を薄塗りにする山本の絵画はフォートリエから学んだと思う。針生一郎さんに初めて山本の作品10点ほどを見せたとき、彼はどこでフォートリエを学んだのだろうと呟かれた。さらに「塀」という作品では板塀に子供の落書きが描かれている。これはデュビュッフェの影響に違いない。デュビュッフェもアンフォルメルの画家だ。

 象徴派についても、ある時針生さんから、「彼は象徴派だね」と言われたことがあったが、そのことがよく分からなかった。しかし考えてみれば、赤い背景に白い物体が描かれている「流木」について、完成したとき、娘の湘ちゃん8歳に見せてどう思うと聞いた。湘ちゃんが血みたいできれいと言ったとき、今までにないほど嬉しそうな顔をしたという。おそらくドンピシャだったのだ。自分の生涯が血の川を流れる流木=白骨だということを描いたのに違いない。「銀杏」は夜の闇にすっくと立つ太い銀杏の樹を描いている。これは奥村土牛の「醍醐」という醍醐寺の桜を描いた有名な作品に対抗して、自分の生涯は満開の桜では全くないが、夜の公園に立つ地味だが強い存在感を持つイチョウだと主張しているのだろう。「醍醐」と「銀杏」の構図が同じなのだ。畑の中の崩れそうな小屋や、地味な沼を美しく描いているのは、人から後ろ指を指されている貧しい自分が、実はこんなにも美しい存在だと言っているのだろう。それらは象徴派と呼ぶに相応しいのではないか。

 「アンフォルメル」「象徴派」「アル中」が山本弘の特質を表す3つにキーワードだった。それを最初から見抜いた針生一郎さんの眼力に深い敬意を表するものだ。

 

山本弘の「流木」と「銀杏」

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2020/06/08/214913

 

山本弘「塀」

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2020/06/16/214905

 

フォートリエの「人質の頭部」

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2020/05/29/221553

 

 

 

橋口幸子『珈琲とエクレアと詩人』を読む

 橋口幸子『珈琲とエクレアと詩人』(港の人)を読む。この詩人とは荒地グループの北村太郎を指す。橋口が住んだ部屋の隣に北村が越してきた。北村は大家さんの愛人だった。橋口と北村の親しい交流が語られる。橋口が部屋で校正の仕事をし、隣の部屋で北村が翻訳の仕事をしていた。

 ある時、大家さんの夫が越してくることになり、北村は以前橋口が住んでいた6畳一間のアパートに転居する。ここでは名前が明かされていないが、大家さんの夫は詩人の田村隆一なのだ。

 大家さんと田村隆一北村太郎の三角関係で大家さんは精神を病んでしまう。橋口がここから転居した後、田村は大家さんと別れ、ここから出ていく。

 北村は一人で寂しく生きていく。妻と離婚しないのは、妻に北村の年金を受け取れるようにするためだと言う。

 前に読んだ橋口幸子『こんこん狐に誘われて 田村隆一さんのこと』(左右社)でもそうだったが、時系列に沿うのでもなく、思い出す順に書いているように見える。ただ、橋口の北村に対する姿勢は優しくとても思いやりが深いことを感じる。読んでいてすごく気持ちの良い読書だった。

 巻末に画家の山本直彰が短い文章を寄せている。山本は橋口と親しい友人のようだ。

 北村太郎の詩を今まで熱心に読んでこなかった。これを機に読んでみようと思った。

 

 

 

珈琲とエクレアと詩人 スケッチ・北村太郎

珈琲とエクレアと詩人 スケッチ・北村太郎

  • 作者:橋口 幸子
  • 発売日: 2011/04/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

「ファクトで会話する」??

 日本経済新聞の地下鉄の広告がこれだ。

 

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多くのジャンルに対してファクトで会話する。これだけで仕事上の評価も違う。だから日経電子版。「質の高い特集」と毎日、触れておく。365日分の差は、大きい。月4,277円の価値は、ある。

 

 「ファクトで会話する」って何だ。「事実で会話する」って言ったらこなれていない。だからってあいまいな英語を使うのか。これもピジン英語ではないか。ピジン言語について少し古いwikipediaによると、

 

ピジン言語(ピジンげんご、Pidgin languageまたは単にPidgin)とは、貿易商人など外部の人間と現地人との間に於いて異言語間の意思疎通のために自然に作られた混成語(言語学的に言えば接触言語)。これが根付き母語として話されるようになった言語がクレオール言語である。旧植民地の地域で現地に確立された言語がない場所に多く存在する。英語と現地の言語が融合した言語を「ピジン英語」といい、一般に英語の“business”が中国語的に発音されて“pidgin”の語源となったとされている。

親の世代が第二言語として話していたピジン言語が、母語として獲得されてクレオール言語として定着する過程をクレオール化と呼ぶ。社会的に認められて、名前に「ピジン」とあってもクレオール言語として定着しつつある言語も多い。なお、ある程度定着してまとまった数の母語話者がいる場合は、便宜上「ピジン言語」ではなく「クレオール言語」に分類される事が多いが、両者の間にはっきりとした境界があるわけでは無い。

 

  言語学者田中克彦からの孫引きだが、ハンコクが1977年に世界全体でのピジンクレオール語の分布図を作っている。それによると日本では2カ所に印が付けられている。幕末の横浜と戦後のアメリカ軍基地周辺だ。後者ではアメリカ兵と付き合っている日本の若い女性(パンパンと呼ばれた)が「ミーはね、ウォント・マニーなのよ」などと言っていたと紹介されている。ピジン語は「その場かぎりのコミュニケーションを何とかきりぬけるためのやりくり言葉」なのだ。

 それに対してユダヤ人が使っているイディッシュ語は元々ユダヤ人用ドイツ語で、ドイツ人からはくずれたドイツ語だと言われていた。これが典型的なクレオール語の成立だという。

 さて、日本人が必要もなく英語を日本語に混ぜて使ってゆけばピジン語になってしまうのではないかと危惧しているのだ。

 

アレン・ギンズバーグ/柴田元幸 訳『吠える その他の詩』を読む

 アレン・ギンズバーグ柴田元幸 訳『吠える その他の詩』(スイッチ・パブリッシング)を読む。『吠える』は50年前に諏訪優の訳で思潮社から出版されていた。ビート・ジェネレーションとかビート族、当時のふうてんたちにとってバイブルだった。周りの友だちも夢中になった。それが50年ぶりに新訳が出た。これは読まずばなるまい。

 「吠える」は長編詩で、20ページにわたって饒舌に語り続けられる。まず柴田の新訳からその一部を、

 

ぼくは見た ぼくの世代の最良の精神たちが 狂気に破壊されたのを 飢えてヒステリーで裸で、

わが身を引きずり ニグロの街並を夜明けに抜けて 怒りの麻薬を探し、

天使の頭をしたヒップスターたちが 夜の機械のなか 星のダイナモへの いにしえの天なる繋がりに焦がれ、

貧乏で襤褸でうつろな目でハイで 水しか出ないアパートの超自然の闇で 煙を喫って夜を過ごし 都市のてっぺんをふわふわ超えながらジャズを想い、

高架の下で脳味噌を天にさらし モハメッドの天使たちがよろよろ 光を浴びた長屋の屋上を歩くのを見て、

輝くクールな目で 方々の大学を通り抜け 戦争学者たちのただなか アーカンソーと ブレイクの光の悲劇を幻視し、

狂気ゆえ そして 頭蓋骨の窓に卑猥な詩を出版したゆえに 学界からも追放されて、ひげも剃っていない部屋に 下着姿で縮こまり 屑カゴで金を燃やし 壁ごしに恐怖に聴き入り、

陰毛のあごひげ姿で ラレード経由 ニューヨークへの土産のマリワナを腰に巻いて 帰ってきたところを逮捕され、

ペンキホテルで火を食うか パラダイスアレーでテレピン油を飲むかして 死か 夜ごとおのれの胴を煉獄へ追いやるかし

夢で ドラッグで 目覚めた悪夢で アルコールとペニスと無限の睾丸で、(後略)

 

 ついで諏訪優の翻訳から、

 

僕は見た 狂気によって破壊された僕の世代の最良の精神たちを 飢え 苛ら立ち 裸で夜明けの黒人街を腹立たしい一服の薬(ヤク)を求めて のろのろ歩いてゆくのを

夜の機械の 星々のダイナモとの 古代からの神聖な関係を憧れてしきりに求めている天使の頭をしたヒップスターたち

 

  以上、「吠える」の冒頭だが、次に飛んじゃってる箇所を、柴田の翻訳で、

 

朝に夕に性交し バラ園で公園の芝生で墓地で 来る人誰にでも惜しげなくザーメンをふりまき、

クスクス笑おうとはてしなくしゃっくりをくり返したが 結局トルコ風呂の仕切りの陰ですすり泣いていると 金髪で裸の天使が剣を貫きに来て、

愛の少年たちを 運命の三老婆に奪われ ひとりは両性愛のドルの片目の女 ひとりは子宮からウインクを送ってよこす片目の女 ひとりはただ座って職人の機織りの知性の金糸をぷつぷつ切るばかりの片目の女で、

ビール瓶 恋人 煙草の箱 蝋燭で 恍惚かつ貪欲に交接し ベッドから落ちて 床でも続け廊下でも続け やがて究極のおまんことオーガズムの幻を得て壁で失神し 意識の最後の精液を回避し、

 

  50年前に夢中になったビートニクの詩に、70歳を超えた老人が共感できるかと半ば躊躇しながら手に取ったが、いっぺんにあの頃の情熱を思い出した。ギンズバーグ最高!

 

 

 

【新訳】吠える その他の詩 (SWITCH LIBRARY)

【新訳】吠える その他の詩 (SWITCH LIBRARY)

 

 

ヒノギャラリーの丸山富之展「垂直の夢」を見る

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DM葉書



  東京八丁堀のヒノギャラリーで丸山富之展「垂直の夢」が開かれている(2月6日まで)。丸山は1956年長野県生まれ、1984年に東京藝術大学彫刻科を卒業し、1986年同大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了している。

 ときわ画廊で個展を重ねてきたが、1999年以来ヒノギャラリーで個展を行っている。丸山は砂岩で抽象的な彫刻を作っている。ただ今回黒っぽい石の作品は黒御影石を使っているとのことだ。しばしば砂岩を薄く薄く削り、L字型のような形を作ってきた。

 奥の部屋に直方体の作品が並んでいる。その表面に小さな穴がある。これは何かと画廊スタッフに問うと、表面から底面まで穴を開け、中は中空になっているという。

 大きな砂岩のL字型の作品の後ろには立方体の黒い石が置かれている。これが700kgもあるという。

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 単純だが完成度の高い抽象的な石彫作品だ。一部作品の一角に崩したような造形があり、なかなか見飽きない形を作っている。

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丸山富之展「垂直の夢」

2021年1月18日(月)―2月6日(土)

11:00-18:00(土曜は17:00まで)日曜祝日休廊

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ヒノギャラリー

東京都中央区入船2-4-3 マスダビル1F

電話03-3537-1151

http://www.hinogallery.com

※JR線・地下鉄日比谷線 八丁堀駅A2番出口から徒歩5分