木村伊兵衛『僕とライカ』を読む

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永井荷風

 木村伊兵衛『僕とライカ』(朝日文庫)を読む。70ページの写真作品と、木村のエッセイからなっている。文庫という制約もあり写真集の図版が小さく(キャプションが長いため)、細部がわからない。エッセイは「自伝から」「ライカについて」「出会いと別れ」「なにを、どう撮るか」「対談」の5つの章から構成されている。

 木村は写真家だ。エッセイはとてもつまらない。エッセイの分量を大幅に削って、写真作品だけ大きく取り上げた方が木村伊兵衛についてよく分かるのではないだろうか。自分の作品について木村に語らせるのではなく、写真評論家に解説させる方が良かったのではないか。

 なんだか中途半端な編集だと思った。版元の朝日新聞出版は木村伊兵衛賞の事務局でもあるので、もしかしたら立場上これを出版したのかもしれない。

 

 

 

橋口幸子『こんこん狐に誘われて 田村隆一さんのこと』を読む

 橋口幸子『こんこん狐に誘われて 田村隆一さんのこと』(左右社)を読む。橋口夫婦は1980年2月に稲村ケ崎の家に引っ越した。ここの大家は田村隆一の4番目の正妻の和子だった。間もなく和子の恋人で田村隆一の友人である詩人の北村太郎が同じ家に越してきた。

 秋になって田村隆一稲村ケ崎の家に帰りたいと言ってきた。北村太郎が別のアパートに引っ越した。田村は若い女性を連れて帰ってきた。以来、大家が和子から田村に変わった。和子は階下に住み、田村は2階の階段を挟んだ橋口たちの向かいの部屋に住んだ。

 それから田村と和子と橋口夫婦の交流が語られる。田村はしばしば朝からビールやウイスキーを飲んでいる。橋口たちの部屋に顔を出す。一人で話し続ける。それが面白くて田村の訪問を嫌だと思ったことはなかった。読者にとって残念なのは橋口がそれらの面白い話をほとんど覚えていないということだ。

 田村は終日パジャマで過ごしていた。時に外出するときはパジャマの上に上着を着て行った。ある時田村にコム・デ・ギャルソンの紳士服のモデルの仕事がきた。撮影は高梨豊だった。どのパターンの服を着ても、ダンディで素敵だった。(この新聞広告は私も見て覚えている。とても格好良かった)。

 田村のアパートには3年半住んで、橋口たちは引っ越した。その後田村は和子と別れ、最後の奥さんと暮らした。一度鎌倉駅前で偶然田村の新しい家族3人に会った。きれいな奥さんと可愛らしいお嬢さんが一緒だった。田村は「彼はちゃんと働いているかい? ぼくが言ったと伝えてくれ。働けよ、働けよ、働けよとね」。でも橋口はその頃夫とは別居していた。後になって気づいたが、田村はもうすでにがんが見つかっていた頃だった。しばらくたって入院したが、手術はしないときめたと聞いた。夏に訃報が届いた。

 橋口の語りは時系列に沿っているわけでもなく、話が必然性もなくあちこちに飛んでいく。しかし、田村隆一ファンにとって、田村に関するエピソードは興味深く、読むことが楽しいものだった。私にとって田村隆一こそ戦後以来の最高の詩人なのだから。

 

 

 

こんこん狐に誘われて 田村隆一さんのこと

こんこん狐に誘われて 田村隆一さんのこと

  • 作者:橋口幸子
  • 発売日: 2020/11/11
  • メディア: 単行本
 

 

 

樹村みのり『冬の蕾』を読む

 樹村みのり『冬の蕾』(岩波現代文庫)を読む。副題が「ベアテ・シロタと女性の権利」。岩波現代文庫ながらマンガだ。

 ベアテ・シロタは22歳で戦後、アメリカ民政局の日本国憲法草案作成に加わった。ベアテの父はユダヤ系ドイツ人だったが、ピアニストで戦前から日本で教えていた。ベアテも自然日本で育ち、日本語が自由に話せた。アメリカで学んでいた時太平洋戦争が勃発し、父母は日本に留まり、連絡が付かなかった。戦後ベアテは父母の消息を知りたいと、民政局の一員となって日本に来た。偶然が重なり軽井沢に住んでいた両親と会うことができた。

 ベアテ日本国憲法草案を作成するアメリカ民政局憲法制定会議のメンバーに選ばれた。ベアテが日本語を自由に話すことができたからである。ベアテはそこで女性の権利を重視する草案を作成した。ベアテが戦前の日本に住んでいて、日本の女性のほとんど権利を無視された生活を見て来ていたからである。

 そのベアテの草案は、現憲法第24条になった。

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されなければならない。配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 すばらしい。一人の人間が機会を得て大きな仕事ができることが証明している。またベアテがいなければ日本はもっと息苦しい社会になっていたかもしれない。

 またマンガでありながら岩波現代文庫に取り入れた編集者も素晴らしいと思う。

 

 

 

 

埴谷雄高『酒と戦後派』を読み直す

  埴谷雄高『酒と戦後派』(講談社文芸文庫)を読み直す。5年前に読んでブログにも紹介したが、武田泰淳の最後が書かれた「最後の二週間」が読みたくて手に取り結局全部読み直した。素晴らしい本だ。埴谷雄高全集から文学者たちとの交友録を編集してくれた講談社文芸文庫編集者に深い感謝を捧げる。今度も埴谷の武田泰淳に寄せる思いに涙腺が刺激されてしまった。

 5年前に紹介した文章を再録する。

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 埴谷雄高『酒と戦後派』(講談社文芸文庫)を読む。副題を「人物随想集」といい、主として仲間の文学者たちについて折々に書かれたエッセイを『埴谷雄高全集』から本書のために編集したもの。400ページの本文に65篇のエッセイが収録されているので、1篇約6ページとなるが、約80人について書いている。見事な交友録ともなっている。ちょっと斜からみた戦後文壇史とも言えるし、また小さな作家論とも言える。結婚する前の石川淳の酒癖が悪かったこととか、若かった頃の寺田透が鬱屈した精神を持っていてバーの入り口横の大きなガラスにぶつかって行ってそれを割ったとか、大成した後の姿しか知らない作家の若いころの行状が遠慮なく描かれている。しかし、全体に通底しているのは埴谷の仲間たちに対する優しい思いやりだ。

 埴谷は88歳まで生きたので、多くの仲間たちを追悼することになった。長生きすると友達が次々に死んでいくのを見送らねばならないのだ。末尾に近く「最後の二週間」という30ページにわたるエッセイが置かれていて、それが親しかった武田泰淳の最後を綴ったものだ。これは本当に優れた追悼文だ。その後にも「武田百合子さんのこと」というこれまた30ページに及ぶ武田百合子の追悼文が収められている。羨ましいような深い交友関係がうかがわれる。とくに「最後の二週間」だけでも本書を読んだ価値があった。

 埴谷は難解な印象が強く、いままでほとんど読むのを避けてきた(昨年『素描 埴谷雄高を語る』を読んだだけだ)。しかし、本書を読んで優れた作家だということがよく分かった。

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 これらが埴谷との具体的な交友のエピソードから構成されている。取り上げられているのは戦後派の文学者たちが多いが、三島由紀夫大江健三郎小田実まで交流が及んでいる。実に優れた戦後派文学者プロフィール集だ。

 

 

酒と戦後派 人物随想集 (講談社文芸文庫)

酒と戦後派 人物随想集 (講談社文芸文庫)

  • 作者:埴谷 雄高
  • 発売日: 2015/12/11
  • メディア: 文庫
 

 

日本橋高島屋美術画廊Xの重野克明新作銅版画展「ダダダ、」を見る

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 日本橋高島屋6階美術画廊Xで重野克明新作銅版画展「ダダダ、」が開かれている(2月8日まで)。重野は1975年千葉市生まれ、2003年に東京藝術大学大学院修士課程美術研究版画専攻を修了している。主に77ギャラリーで個展を開いているが、ここ高島屋美術画廊Xでも今回が6回目となる。

 重野の作品はいつも楽しい。作品は私生活を色濃く反映している。また物語を秘めてもいる。そのような重野の方向は独自のもので、貴重で素晴らしい試みだと思う。いや、重野はもう自在に自分の世界を構築している。

 

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サイン45

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友達

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追いかけて 素描

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行方、ロマンス


重野克明新作銅版画展「ダダダ、」

2021年1月20日(水)―2月8日(月)

10:30-19:30

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日本橋高島屋美術画廊X

電話03-3211-4111(代表)

https://www.takashimaya.co.jp/nihombashi/departmentstore/topics/1_2_20201217144444/?category=art