あをば荘の2人展の入日洋子が興味深い

 東京墨田区のあをば荘でヨーコ・アンドレンYoko Andrenと入日洋子の2人展が開かれている(3月30日まで)。その入日の作品が興味深い。入日は1991年岡山県生まれ、2015年にスウェーデン王立美術大学へ留学し、2017年に筑波大学大学院人間総合科学研究科を修了している。

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 画廊中央のテーブルにピンク色のオブジェが並べられている。また壁にもピンク色の布の台にピンポン玉が置かれている。テーブルの上のオブジェを見てみる。

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 この網目状のものは果物を包むクッションだという。

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 ピンポン玉が乗っているのはシャボン玉を吹き出すおもちゃ。

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 自動車なんかに使う空気を送るパイプ。

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 小さなハムスターが遊ぶためのトンネルにピンポン玉を入れている。

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 女性の髪留めに使うものらしい。

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 2種類の色のポストイットを重ねている。

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 ピンク色の荷造り紐。

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 台所の食器洗いのスポンジを切って井形に並べたもの。

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 赤貝。

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 そして、棚状の台に並べたピンポン玉。

 

 要するに出来合いのものを並べている。究極のレディーメイド作品だ。レディーメイドはデュシャンが始めた作品のスタイルで、既存のものを作品として提示するものだ。デュシャンは男性用小便器や瓶立て、自転車の車輪などを作品として提案した。その影響は世界に広がり多くの作家が影響を受けている。
 一昨年このブログで紹介した、高柳恵里が六本木のミッドタウン ガレリア3階にあるインテリアショップTIME & STYLE MIDTOWNで展示した作品を思い出した。そこではおしゃれな店のあちこちに、園芸用の黒土や台車、三脚にセットされたカメラ、棚に置かれた筆、新品の靴と古い靴、紙袋やガラス壺などが展示されていた。高柳の展覧会のことを入日に話すと、私も見ました、カッコよかったという。
 だから今回の展示は入日のオリジナルではない。しかし、出来合いの商品を並べて作品とし、それらをピンク色で統一したということ、作品のコンセプトがピンクのレディーメイドという括りだったのが何かあっけらかんとした印象で興味深かった。
 会期はあと3日間残っている。東武亀戸線の小村井駅や東武スカイツリー線の曳舟駅、また京成押上線曳舟駅から徒歩で行くことになる。
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ヨーコ・アンドレン×入日洋子 2人展
2020年3月8日(日)―3月30日(月)
今後の日程は、
28日は19:30-21:00オープン
29日は13:00-19:00オープン
30日は13:00-17:00オープン
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あをば荘
東京都墨田区文化1-12-12
http://awobasoh.com/

 

コバヤシ画廊の坂本太郎展を見る

 東京銀座のコバヤシ画廊で坂本太郎展が開かれている(3月28日まで)。坂本太郎は1970年、埼玉県生まれ、2000年に愛知県立芸術大学大学院修士課程を修了している。都内では2000年に当時早稲田にあったガルリSOL、2001年以降銀座のフタバ画廊や小野画廊、ギャラリーアートポイント、ギャラリー山口などで毎年個展を続けてきた。最近はコバヤシ画廊で発表している。
 今回画廊に入って昨年と大きくは変わらないみたいだと思いながら作品の後ろに回って驚いた。そこで今まで坂本はシンメトリーな造形だったと気づいた。今回はシンメトリーを崩していてそれがとても驚きだった。コバヤシ画廊で長く発表している坂本はこの画廊の空間を知悉していることがよく分かる造形だった。見事としか言いようがない。画廊の天井に割合大きな梁が走るのを計算に入れて今回の大きな木彫を制作している。
 周囲を回って見てみる。四方向からの鑑賞には別々の豊かな表情を見せてくれる。それがみな心地よく、美しいという形容が違和感なく相応しいのだ。内部にまで達しているような裂け目や、ボルダリングができそうな反り返った斜面、大きなボルトが埋め込まれた荒々しい肌合いなど。

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 聞けば重量は600kgくらいあり、高さは2.6mくらいだとか。コバヤシ画廊の入口は決して広くなく、階段がクランク上に折れ曲がっているので、それを計算して多数のピースに分解して搬入し、日曜日に画廊内で組み立てているのだとのこと。
 毎年一見似たような造形でありながら、こんな風に展開している! と驚かされる。坂本太郎展は楽しみなのだ。
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坂本太郎展-voice-
2020年3月23日(月)-3月28日(土)
11:30-19:00(最終日17:00まで)
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コバヤシ画廊
東京都中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1
電話03-3561-0515
http://www.gallerykobayashi.jp/

歌人 諏訪兼位氏亡くなる

 今朝(3月22日)の朝日歌壇の高野公彦選の筆頭は諏訪兼位だった。


「わすれても大丈夫、僕が覚えておくよ」日福大生の認知症カルタ  (名古屋市)諏訪兼位

 

 選評「一首目、日本福祉大の女子学生たちが作ったカルタ。どの札も優しさに満ちているのだろう。なお、諏訪兼位氏は3月15日逝去」。
 諏訪さんが亡くなったのは新聞の訃報欄で知った。朝日新聞3月18日朝刊より、

 諏訪 兼位さん(すわ・かねのり=元名古屋大理学部長、歌人)15日、上腸間膜動脈塞栓(そくせん)症で死去。91歳。葬儀は近親者らで行った。喪主は妻佳子(よしこ)さん。
 岩石、鉱物を研究した。戦争体験や時事、日常を詠み、92年と09年に朝日歌壇賞を受賞。

 諏訪さんの名前は朝日歌壇で何度も見ていた。以前も書いたことだが、ずっと女性だと思っていた。そして茨城出身の人ではないかと。兼位が見馴れない名前だから親御さんが「かねえ」のつもりで付けた名前に兼位の漢字を当てたのだろうと推測していた。昔当時の部下と茨城県に出張した折、ある寺の池に「コイにイサを与えないでください」と書かれていて、茨城出身の部下が、これは「エサ」のことだと教えてくれた。茨城ではしばしば「エ」を「イ」と発音するのだと。
 それが間違いだと知ったのは、『図書』2015年8月号に諏訪兼位のエッセイが掲載されていたからだ。読み方が「すわ かねのり」とあり、専門が地球科学となっている。特異な名前だから同一人物だと分かった。エッセイのタイトルは「時代を超える『学生に与ふる書』」。
 その冒頭に、私は1928年に鹿児島に生まれたとある。1944年9月、中学4年のときに1カ月間学徒動員で知覧特攻基地の建設に従事し、1945年2月初めから7月末までの6カ月間、愛知県半田市中島飛行機半田製作所で海軍の偵察機「彩雲」の生産に従事した。このとき七高理科1年生だった。7月24日白昼の半田空襲はすさまじいものだった。工場は完全に破壊され、270人以上が死んだ。七高1年生は8月10日に長崎に集合せよという命令を受けてまず鹿児島に向かった。車中、名古屋・大阪・神戸が完全に破壊されているのを見た。広島着は7月30日、原爆投下1週間前で無傷の広島があった。8月はじめの西鹿児島駅に辿りついた。鹿児島は焦土と化していた。
 8月9日午後、長崎出発の打合せで郊外の七高教授宅に伺ったところ、長崎から電報が届いたばかりだった。長崎に新型爆弾が投下された。こうして七高1年生の長崎行きは無期延期になった。
 七高校舎は6月17日の鹿児島大空襲で焼失していたため、戦後の授業再開は1945年11月末だった。翌年、諏訪が七高理科2年生の時、兄が持っていた天野貞祐の『学生に与ふる書』を読む。

(……)戦争中に出版されたこの本を、私は何らの期待感もなく読みはじめた。しかしこの本は個人の尊厳を力説した道理の書であった。カント哲学やヘーゲル哲学や西田哲学などの哲学序説とでも言うべき書であった。私は熱心に読みふけった。戦争中に書かれた本が、時代を超えて、戦後の学生に大きな感動を与えたのであった。

 諏訪はその後、天野が桑木厳翼との共訳として出版したカントの『プロレゴーメナ』を岩波文庫で読み、いくつか誤植を見付け岩波書店に葉書を出した。岩波書店はこの葉書を天野に転送したらしい。天野から諏訪あてにていねいな礼状が送られてきた。諏訪は「大変おどろき何回も読み返し、そして今日まで大切に保存してきた」として、その写真図版が掲載されている。このエッセイの最後は、

 この葉書を手にし、69年ぶりに『学生に与ふる書』を読み、今なお色褪せていないことに二度目の驚きを覚えた。戦争中に書かれた書だが、今、ぜひ再読されたい。

 諏訪さん、今日の朝日歌壇に選ばれたことを知ることなく亡くなってしまったのか。でも最後まで現役で歌を詠んで良い生涯だったと言えるだろう。歌集も出版されているようだ。

 

 

科学を短歌によむ (岩波科学ライブラリー 136)

科学を短歌によむ (岩波科学ライブラリー 136)

  • 作者:諏訪 兼位
  • 発売日: 2007/10/05
  • メディア: 単行本
 

 

 

岩石はどうしてできたか (岩波科学ライブラリー)

岩石はどうしてできたか (岩波科学ライブラリー)

  • 作者:諏訪 兼位
  • 発売日: 2018/01/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

 

 

27年前の戦後日本美術ベストテンを見直す

 久しぶりに『芸術新潮』1993年2月号を書棚から取り出した。30人の美術評論家が選んだ戦後美術のベストテンが特集されている。1993年、平成5年、戦後48年。この年は現天皇の当時皇太子が結婚した。細川護熙・非自民8党派連立内閣成立、田中角栄元首相が亡くなった。そのベストテンを見てみる。

1. 河原温
2. 斎藤義重
3. 草間弥生・白髪一雄・リーウーファン
6. 荒川修作・関根伸夫・三木富雄
9. 岡本太郎・鶴岡政男
11. 川俣正山田正亮・若林奮
14. 赤瀬川原平・戸谷成雄・中西夏之・山口長男・山下菊二
19. 靉嘔・工藤哲巳・菅木志雄・高松次郎・堀内正和・八木一夫横尾忠則
26. 今井俊満宇佐美圭司・榎倉康二・環境造形Q・菊畑茂久馬・堂本尚郎ハイレッドセンター・彦坂尚嘉・土方巽・堀浩哉・村岡三郎・吉原治良

 以上1位から37位まで。これは30人の評論家たちから3票以上集めた作家たちだ。さて、30年近くでこんなに変わるのか。現在の美術シーンから見直してみたい。河原温の1位は過大評価だろう。3位の草間弥生・白髪一雄・リーウーファンも評価が高すぎる。6位に並ぶ荒川修作・関根伸夫・三木富雄も同様だ。3人ともマイナー作家に位置づけられるだろう。9位の岡本太郎はテレビ広告出演や太陽の塔の一般大衆における知名度によるものだろう。実力の評価ではない。
吉仲太造が入っていない、野見山暁治も村井正誠も猪熊弦一郎中村宏も難波田龍起も! 山口長男は高位に入っていいだろう。中西夏之も山下菊二も高く評価したい。 
 さて、また同じような企画を立てたらどんなメンバーが選ばれるのだろう。

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宇フォーラム美術館の達和子展を見る

 東京国立の宇フォーラム美術館で達和子展が開かれている(4月5日まで)。達は1947年滋賀県生まれ。1969年に武蔵野美術大学を卒業している。その後1975年から15年間ほど香港に住み、2000年には武蔵野美術学園造形芸術研究科を卒業している。
 達には大作が似合う。今回奥の壁に展示されている作品は2.7m×3.6mもある。縦長の作品は3.6m×2mほどだ。一番古い作品は1998年制作の100号だ。この古い作品には斜めに踊るような人が描かれていて、このころは小林裕児とも共通する印象があったが、現在大きく隔たっていて独自の世界を築いている。

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2.7m×3.6m

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3.6m×2m

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30号の小品(?)

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1998年作の100号

 達は大作が得意だが、そうすると都内ではそれらを展示するギャラリーが限られてくる。2年前は同じ国立のコート・ギャラリー国立での個展だった。やはり美術館の大きな壁面が似合うだろう。どこかの美術館が取り上げてくれないだろうか。
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達和子展「繋ぐ」
2020年3月19日(木)―4月5日(日)
13:00―17:30(月・火・水 休館)
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宇フォーラム美術館
国立市東4-21-10
電話042-580-1557
http://kunstverein.jp/
入場料500円(中学生以下無料)
※JR国立駅より徒歩20分、駅前からバスもある