原美術館の加藤泉展を見る

 東京品川御殿山の原美術館加藤泉展が開かれている(1月13日まで)。加藤は1969 年島根県⽣まれ。1992 年武蔵野美術⼤学造形学部油絵学科卒業。1993年にモリスギャラリーで初個展。
 原美術館のホームページから、

原始美術を思わせるミステリアスで⼒強い⼈物表現を特徴とする加藤泉は、1990 年代半ばより絵画作品を発表、2000 年代に⼊ると⽊彫も⼿がけ、2007 年ヴェネチアビエンナーレ国際美術展への招聘をきっかけに国際的な評価を獲得し、⽇本・アジア・欧⽶とその活動の舞台を広げてきました。
近年ではソフトビニール、⽯、ファブリックなど多様な素材を⽤いたダイナミックなインスタレーションを展開する⼀⽅で、新たに版画制作にも取り組むなど、その意欲的な創作活動に多くの注⽬を集めています。 東京の美術館としては初の⼤規模個展となる原美術館では、新作の絵画、彫刻作品69点を、元々は個⼈邸宅として建てられた独特の建築空間と対話するように展⽰します。

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 図録には個展を1994年モリスギャラリー、1995年藍画廊と書かれているが、なぜか1993年のモリスギャラリーが抜けている。最初のモリスギャラリーではタブローを展示し、翌年のモリスギャラリーでは木の立体を展示していた。タブローは最初から素晴らしかったが、翌年の立体はさほど感心しなかった。
 現在、タブローと立体作品の2本立てで活動しており、そのどちらも人気があるけれど、最初の展示に現われているように加藤の本領は平面絵画であり、立体作品は平面絵画を立体化したものだ。立体としての空間が捕らえられているわけではない。その点奈良美智と共通するようだ。
 私が見たのは会期末の1月11日だったが、来場者はけっこう多く、加藤の人気のほどがうかがわれた。初めて見てからもう26年も経つのか。
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加藤泉
2019 年 8 ⽉ 10 ⽇[⼟]- 2020 年 1 ⽉ 13 ⽇[⽉・祝]
11:00 am – 5:00 pm
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原美術館
東京都品川区北品川 4-7-25
電話03-3445-0651
https://www.haramuseum.or.jp/jp/hara/

 

 

鬼海弘雄『SHANTI』を見る

 鬼海弘雄『SHANTI』(筑摩書房)を見る。インドの子どもたちを撮った白黒の写真集。170点近くの写真が1ページ1枚掲載されている。鬼海は浅草寺の境内に来るちょっと変わった人たちの肖像写真で有名だ。境内で待っていて、変な人が来ると声をかけて撮っている。
 本書は1979年から2016年まで20回ほど訪ねたインドの、子供たちを中心にした写真集だ。いつもの通り撮影データや被写体の詳しいキャプションはない。キャプションは「工芸村の娘」「プラスチックの腕時計」「猛暑期の朝の浜」などと素っ気ない。「猛暑期の朝の浜」には15人ほどが寝転んでいるのが写っている。インドの人口の多さがしのばれる。「プラスチックの腕時計」などというキャプションは、わざと本質を外した命名なのだろう。
 浅草寺に来る変わった人たちを撮った『ペルソナ』シリーズは、モデルたちの異様さが面白かった。だがインドの子どもたちを撮ったこの写真集は『ペルソナ』の面白みには欠けると言わざるを得ない。
 本書にはノンブル(ページの数字)が付されていない。写真にはすべて通し番号が付けられているので仮に引用するとしても混乱はないのだろうが、やはりノンブルは振っておいた方がいいのではないだろうか?
 なおタイトルのSHANTIシャンティはサンスクリットで「平安、平穏」とある。確かヨガのときにもこの言葉を唱えていた。T. S. エリオットの『荒地』の最後も「シャンティ シャンティ シャンティ」となっている。

 

 

SHANTI (単行本)

SHANTI (単行本)

 

 

藍画廊の立原真理子展を見る

 東京銀座の藍画廊で立原真理子展が開かれている(1月18日まで)。立原は1982年茨城県生まれ、2006年に女子美術大学芸術学部洋画専攻を卒業し、2008年に東京芸術大学大学院美術研究科修士課程を修了している。2007年に銀座のフタバ画廊で初個展を開き、その後2012年に巷房2と階段下で、2013年に藍画廊、2014年にHasu no hanaと藍画廊、2015年にPicaresqueギャラリーで個展を開いている。

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 ギャラリーの真ん中に蚊帳が吊られている。その蚊帳に刺繍が施されている。今まで立原は刺繍という方法で絵を描いてきた。その支持体にはしばしば網戸が使われてきた。Hasu no hanaでも今回も蚊帳が選ばれたている。蚊帳も網戸と共通の性質を持っている。内と外を分け、網戸/蚊帳に描いた図と重ねてその先の風景を借景のように見せることができる。作品に強引に現実の空間を重ね合わせている。いや借景というより立原の意図は、現実空間の中に作品を成立させることなのではないか。作品を取り囲む現実空間も取り込んだものを併せて「作品」としているのではないか。
 この蚊帳は一端が開いていて、中の空間に入ることができる。刺繍された図柄を内と外から見ることができる。画廊主に聞いたら、本当の刺繍は表面からのみ見るようにできていて、裏面は糸が複雑に絡み合って鑑賞を前提としていないが、立原の作品は表裏を見るようになっている。刺繍の方法を使っているが刺繍とは別物の由。
 蚊帳を使ったインスタレーションで、立原は蚊帳で空間を分断しつつ分断された空間を重ね合わせるのに利用している。歌麿などの浮世絵でも蚊帳は向こうの景色を半ば透かし見せて空間の重ね合わせを行っていた。現代美術の立原と歌麿が通底している。
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立原真理子展
2020年1月6日(月)―1月18日(土)
11:30-19:00(最終日18:00まで)
1/12(日)、1/13(月・祝)休廊
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藍画廊
東京都中央区銀座1-5-2 西勢ビル3階
電話03-3567-8777
http://igallery.sakura.ne.jp/

 

 

ギャラリー・オカベの番留京子版画展「be born again」を見る

 東京銀座のギャラリー・オカベで番留京子版画展「be born again」が開かれている(1月18日まで)。番留は富山県生まれ。1985年、創形美術学校を卒業している。1986年、ギャラリー青山で初個展。以来多くのギャラリーで個展を開いてきたが、最近はギャラリー・オカベで定期的に開催している。また国内外の版画展に参加し何度も受賞している。長く千葉県に住んでいたが、1992年より和歌山県熊野在住。個展をもう50回以上開いている。

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 番留は木版画を作っている。きわめて大きい木版画で、富士が噴火しているダイナミックな作品だ。こせこせしたところが微塵もない大胆な構成だ。こんな大胆な作品を作っている作家はほかに見当たらない。作品の社会性とか制作技術とか一顧だにしていない。
 私はもう30年近く番留を見ているが、そろそろ美術館などの大きな会場で回顧展を見てみたい。
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番留京子版画展「be born again」
2020年1月7日(火)―1月18日(土)
11:00―18:30(最終日17:00まで)日曜休廊
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ギャラリー・オカベ
東京都中央区銀座4-4-5
電話03-3561-1740
http://www.galleryokabe.co.jp

 

宇野千代『青山二郎の話・小林秀雄の話』を読む

 宇野千代青山二郎の話・小林秀雄の話』(中公文庫)を読む。青山、小林と併記されているが、青山が全体の3/4を占め、その中でも「青山二郎の話」が全体の半分を占めている。「青山二郎の話」は宇野が最晩年に雑誌に連載していたもので、おそらく執筆途中、宇野99歳で亡くなって中断した。これのみ単行本になったが、文庫化するのは初めてのようだ。宇野の青山に関する短文11篇と小林に関する9編を併せて1冊に編集していて、中公文庫オリジナルとしている。
 青山二郎は骨董の天性の目利きとしてあちこちで語られている。小説やエッセイも書いているが、身近で接した宇野が最後に書き残しておきたかったという。最初に青山が最後に住んだマンションが紹介される。渋谷区神宮前2の33の12にあるビラ・ビアンカというマンションで6階にある二つの区画を3,300万円で買った。この執筆時(1990年代)の13年前で、今(執筆時)の1億何千万円かに当たるらしい。グーグル・マップで見れば大きなマンションだ。
 なるほど親しく付き合った人でしか分からないことがいろいろ書かれている。宇野は文化功労者にも選ばれ全集なども発行されている有名作家だ。だが、個々の文章はともかく、全体の構成や客観的な記載ができないようなのだ。

 遠い昔の話であるが、睦ちゃんがあんな風になったのには、多少とも、青山さんの影響がある。睦ちゃんを甘やかして、あんな風にさせたのは青山さんだ、と私に言った人があったのを私は思い出した。

 と語られる睦ちゃんが、あんな風になったとはどんな風なのを宇野はこれ以上書いていない。別のエッセイではゆき子ちゃんとも書かれているが同一人物だろう。彼女は大岡昇平の『花影』の主人公のモデルで、多くの男たちと関係して最後は自殺している。宇野はそのことも書かない。おそらく自分が書いていることが全体のどの部分で、読者にとってどこまでが既知のことなどかも自覚していないのだろう。
 以前宇野の『雨の音』(講談社文芸文庫)を読んだとき、

 宇野千代の自伝的要素が強い作品ではあるが、一緒に収録されている短篇などを併せ読めばまるまる私小説ではないことが分かる。おそらく自分の体験してきたことを微妙に変奏して繰り返し語っているようなのだ。どこまでが本当のことなのか、やっと2、3冊読んだだけの私には分からない。
 この「雨の音」でも、時間は過去に戻ったり、また簡単に20年、30年後に飛んだりして、単純な時系列を追って記されているのではない。自由に語っているという印象を受ける。そうか、宇野千代の特徴は自在な語り口なのかもしれない。

 と書いた。また、

奔放な男性遍歴とそれを語る自在な語り口、それが宇野の文学の魅力なのだとしたら、この後も宇野文学をもっともっと知りたいという意欲には結びつかない。

 と書いたことを、今訂正する気もない。
 また、青山二郎から好いものを見ることを教わったと書いて、

……もし、この、好いものだけを見分ける眼の訓練を、自分のものにしたかったら、好いものだけしか、置かないようにすることである。好いものだけ、と言っても、それは値段の高いもののことではない。値段は安くても、形が単純で、色が目立たないもののことである。いつも、こんなものだけを、自分の身の回りに置いて、そうでないものは、見ないようにすることである。好いものだけを見馴れていると、そうでないものは目につかないようになる。これが、趣味のよくなるコツである。

 では、池袋の東京芸術劇場へ行っても、ロビーの天井画を見上げないことが大事なことだろう。これがその普段自分の身の回りに置いてはいけない絵の典型に違いない。

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 「小林秀雄の話」の項は、30ページほどの分量で、さして取り上げるほどのものでもなかった。

 

青山二郎の話・小林秀雄の話 (中公文庫)

青山二郎の話・小林秀雄の話 (中公文庫)