松尾剛次『日蓮』を読む

 松尾剛次日蓮』(中公新書)を読む。日蓮宗を開いて法華経の信仰を説いた。新宗教霊友会立正佼成会創価学会もみな日蓮系だ。

 日蓮は他宗に対して激しく攻撃的だった。それは創価学会折伏を経験して私も多少は知っていた。しかしここまで攻撃的だったとは知らなかった。

 旱魃に際して諸寺に雨ごいをさせることについて、日蓮は主張する。

今、御祈祷人と称して天台・真言・禅・律僧等、雨の御祈祷をなさるのに甚だ神慮に適っていません。国中の旱魃、東西の夷戎の興起することは他でもない。みんな禅・戒・念仏等の繁盛に拠るのだ。それゆえ、建長寺寿福寺極楽寺・多宝寺・大仏殿・長楽寺・浄光明寺以下の諸寺の伽藍を焼き払い、および禅僧・律僧・念仏僧等の頭を斬って由比ヶ浜に懸けた後で、雨は一天を潤し、徳の風によって四海は静まるであろうと。

 

 日蓮は文永11年、第1回目の蒙古襲来を予言してこれを的中させる。日蓮の評価は高まった。そして、その7年後の弘安4年の2回目の蒙古襲来では、日本が亡びると予言して、そうならなければ真言宗は勝れていると思ってよいと主張していた。しかし蒙古軍は撤退した。日蓮は失意の状況に陥った。

 翌年日蓮が亡くなった。

 日蓮は戦う僧だった。他宗を激しく批判した。そのため伊豆や佐渡に流された。それでも他宗の批判はやめなかった。海外ではともかく日本の宗教者でここまで激しく他宗を批判する僧はいなかったのではないか。