イザヤ・ベンダサン『日本人とユダヤ人』を読む

 イザヤ・ベンダサン日本人とユダヤ人』(角川ソフィア文庫)を読む。50年以上前に出版されて当時大きな話題になった書。その後イザヤ・ベンダサンを名乗る著者がユダヤ人などではなくて山本七平だということがばれてこれまた話題になった。しかし人気は衰えず私の購入した文庫は昭和46年初版で、令和5年119版となっている。

 ベンダサン実は山本七平と分かってみれば、内容は保守の評論家の日本批判としてさほど目新しくもない。だが、ユダヤ教からみたキリスト教批判としては知らないことが多く、教えられることが多かった。

 

 日本と比べて、パレスチナは一体どうだったか。昔から「陸橋」といわれたこの地は、常に戦場であった。チグリスの巨人は北から攻め下り、ナイルの巨人は南から攻め上った。海の民は海岸に進攻し、あるいは海岸沿いにエジプトに進み、一方ヨルダンの彼方からは絶えず遊牧民がなだれ込んだ。これが実に4千年にわたって間断なくつづけられ、これを詳述すれば、1冊の膨大な書物になってしまうだろう。ここでは簡単に以上のように記しておくにとどめる。それ以外に方法がないから。

 何ともすごい歴史だといわねばならない。だが誤解しないでほしい。一国民の捕囚とか全国民の完全虐殺といった恐ろしいことも、何もユダヤ人だけが経験したことではないのである。ドーソンの『蒙古史』を読めば、ジンギスカンの部下のユーラシア全地域にわたる行動は、まさに、これにまさる物凄さの一言につきる。

 

 ベンダサンは新約聖書のマリアの処女降誕伝説を否定する。四福音書の中で最も古い『マルコ福音書』にはイエスの生誕と幼児については何も書いていない。『ヨハネ福音書』も処女降誕にふれていない。『マタイ福音書』もイザヤが予言した人が生まれたと言っていて、処女降誕を強調している訳ではない。処女降誕は『ルカ福音書』に始まる。

 

 ユダヤ人すなわちユダヤ教徒が、キリスト教徒に対して徹底的に反発したことの一つは、彼の偉大性は、その出生が常人と違う点にあるというキリスト教徒の主張である。これはモーセ以来の伝統的考えと絶対に相いれない。生まれながらにして偉大なる人間などというものは、ユダヤ人の歴史には存在しなかった。モーセヨシュア、サムエル、ダビデ、エリヤから偉大なる予言者たちに至るまで、すべて、生まれたときはただの人である。彼らがなぜ偉大なる仕事をなしえたか、それは神に召し出され、神に命ぜられ、そしてその使命を立派に果たしたからにほかならない。

 

 このようにユダヤ教という日本人になじみのない宗教からキリスト教を批判する視点を教えられたことが新鮮だった。