桑原武夫『人間素描』(筑摩叢書)を読む。これは桑原の師友のポートレートを集めたエッセイ集だ。「将来この偉大な博士たちを研究するさいの資料になりうるかもしれない。外的些末事と見えることが、学問や芸術の本質と深くかかわりうるというのが私の考えである」と桑原は書いている。本書はまぎれもなく名著だと言える。
30人近くの学者、作家が取り上げられている。主な人物を挙げると、内藤湖南、狩野直喜(君山)、西田幾多郎、柳田国男、萩原朔太郎、川端康成、郭沫若、アラン、ノーマン、貝塚茂樹、織田作之助、中野重治、三好達治、三上章、今西錦司などなど。
昨年久しぶりに帝展へ行ったが、日本画のところは素通りした。洋画の方はしばらくのうちに大へん水準が上ってきたように思う。もう日本画などかくのは止した方がよいかもしれない。この間、ふと駅前の百貨店へ入ったら壁画があった。ふん、あれが藤田(嗣治)か、あれのおやじさんはぼくもちょっと知っている。あれはちゃんと絵になっている。
柳田国男の項で、雑誌『展望』の座談会があったが、テーマが「進歩・保守・反動」だった。
冒頭で柳田さんがいきなり言った。こういう題なら、めいめいが自分は三つのうちのどれだと思っているかを言うことにしようじゃないか。(……)中島(健藏)君や桑原君は「進歩」と自分で決めているに違いない。僕はもちろん「保守」です。そして天野(貞祐)さんは「反動」。天野先生が心外という面持ちで、自分も「保守」だが、「反動」とは思っていない、というと、柳田さんはすぐさま、だってあなたは教育勅語を尊敬しているじゃありませんか。あれを有りがたがっているようでは、どうしたって「反動」ですよ、と断言したのであった。
アラン訪問記で、話しながらアランの顔を見ていると、
美しい顔だとうことがだんだんわかってくる。女が人に惚れられたのを意識したとき、男が自分の仕事に正しい自信がもてたとき、人間の顔は美しくなる、これは彫刻家高田(博厚)君の説で、私も賛成なのだが、そういうところがある。私は西田幾多郎先生のお顔から受けるものと同じものがあるように思った(……)。
菊地暁『民俗学入門』(岩波新書)は、本書について竹内好の言葉を紹介している。。
中国文学者・武内好(1910-77)をして、「あのような文章が書けたら死んでも良い」とまで言わしめた名著。
本書は50年近く前の1976年に発行されている。しかし、初版は1965年文藝春秋社から発行された。筑摩叢書はそれを増補して出版したものだ。なぜこんな名著が長い間文庫化されないのだろう? おそらく文藝春秋と筑摩書房が版権を争っているのではないか。早くそれを解決して、ちくま学芸文庫なり文春学藝ライブラリーなりに加えてほしい。