美濃瓢吾『浅草木馬館日記』を読む

 美濃瓢吾浅草木馬館日記』(筑摩書房)を読む。美濃は毎年3月に上野の東京都美術館で開かれる「人人展」の常連画家で、「大入」と書かれた文字の前に招き猫が座っている絵を描き続けている。初めて彼の個展を見たのは上野仲通りの入口近くのビルの高い階にあったギャラリーニキだった。個展会場で黙々と大入の絵を描いていた。もう40年くらい前になるのではないか。
 本書によると、美濃は最初平賀敬の住み込み弟子をしていたらしい。なるほど、美濃の絵には平賀の画風が色濃く残っている。平賀には東邦画廊の個展で何度もお目にかかった。ちょっとお行儀の悪い女性像を描いていた印象がある。風俗を描きながら強い批評性があり、風俗画を突き抜けていた。
 本書の美濃はタイトル通り浅草木馬館の日々を書いている。美濃は浅草木馬館に住み込んで売店でビールやお菓子などを売っていたのだ。木馬館に出入りする出演者や客の生態が描かれる。
美濃が紹介するひさご通りの店のキャッチコピー、「お目々は涙で洗えます。お鼻はくしゃみで通ります。お口はつばきも舌(べろ)もある。お耳だけは何もない。馬木」これで耳かきを買い、浅草へ戻る、とある。
 美濃は俳句も作っている。「浅草十三句」に良いのがある。

蝦蟇口に入れ歯のみあり春の暮
炎天や錆びし剃刀湿り在り
ここかしこ同じ顔なる十二月
瓦礫から三鬼らしきが日向ぼこ

 本当の日記のように淡々と書かれている。事件らしいことも起こらない。あるいは非日常的なことは省いているのか。その分、あまり楽しめなかった。
 本書とは無関係だが、今日(3月17日)の朝日新聞夕刊に寺澤始の佳句が載っていた。ちょうど40歳で中高教員という。奇矯な句や短歌が多い若者たちとは一味違った俳人だと思った。その何句かを、

バレンタインデー透明の傘開く
歌姫の頬のふくよか春を待つ
聖杯のワインの真紅冴返る
上靴の踵(かかと)汚れて卒業す
子の遺影抱く母あり卒業歌

 本書の表紙が美濃の描く大入の招き猫の絵だ。

 

浅草木馬館日記

浅草木馬館日記