ギャラリーαMの鈴木孝幸展が興味深い

 東京千代田区東神田のギャラリーαMで鈴木孝幸展が開かれている(10月17日まで)。鈴木は1982年愛知県生まれ、2007年筑波大学大学院芸術研究科修士課程を修了している。2010年から愛知県で個展を開き、また各地のアートフェアにも参加しているが、東京のホワイトスペースのギャラリーでの個展は初めてだとのこと。その展示の完成度の高さに驚いた。
 画廊に入って正面の壁面に石ころや小枝などが三角形の形に展示されている。よく見ると壁に打たれた釘から吊り下げられている。この形がきれいだ。これらの石や小枝などは、鈴木が全国の水のある場所から採取してきたものだという。テキストにはそれらの地名が36カ所も記されていた。


 また画廊の奥には大量の石が床に置かれている。その形も三角形で、鋭角的な三角形を描いている。石ころの数を画廊スタッフに訊くと、数は分からないが2トンほどあると言う。この石はすべて1カ所の河原から採集してきたもので、展示が終わったあと本の場所に戻すのだという。




 さらに画廊のあちこちに、針金で吊られた石や、小石でやや大きな石を微妙に支えたオブジェ様のもの、あるいは砂で作った小さな砂州のような形のものが作られていた。これらは何だろう。


 画廊に用意されているちらしに鈴木が「土地は流されて(剥がされて)留まる」と題して書いている。

「水」という場所に触れてみたいと考えた。


私たちの生にとって欠かすことのできない水。絶え間なく動き続ける、流動的な存在。
命のある場所、食のある場所、見送る場所。
汗を流す、衣類を洗う、喉を潤す、身を清める、身体とともにある場所。
古くから人は、水の周囲にはりつくように生きてきた。


海や川。それらもまた、水のつくり出した場所である。
教育のある、泳ぐための。
父の世代においてその川は、水泳の授業をする場所であった。
運搬のための、流れいく、水の力。
祖母の世代においてはそこは、山から切り出した木材を運ぶ場所であった。
私にとってのその川は、遊ぶ場所、水のあるところであった。
上流のダム、止められた水の流れ、人のための場所。


それは流動的で、容易に捉えることはできない。
言葉や概念の変化、その他様々な要因によっても、対象は様々な表情を見せていく。
それぞれの様々な表情をそれとして受け入れるために、可能な範囲で水のある場所を巡ってみた。


(ここに36カ所の地名が羅列されている)


そこにある(あった)ものは、一つの関係の中に存在していた。それらを手に取り、制作行為と称して、能動的に働きかける。それは、ある関係を壊すものであると同時に、もう一つの水のある場所をつくる行為でもある。
指先を使って組まれた石は支えあって自立し、引っ掛けられたものは垂直に垂れ下がり、ものは床や壁を支えにとどまっている。削られたそれは新たな表情を見せ、削られることで、もう一つの関係の中へと放り出される。


「水」という場所に触れてみたい。
ここには目には見えない程度の水しかないが、制作者の対象に働きかける動きによって、水は深く感じられるものとなる、はず。

 少々生硬な言葉だが、土地と水の関係を再構築しようとしていることが伝わってくる。主題を造形化する方法はいささか難解だけれど、表現された形はとてもきれいだ。画廊の奥に展開された河原を思わせる石の集積、その三角形の形と、壁に展示されたまばらな小石などが作る三角形が相似形に響き合っている。また密なる河原の石と粗なる壁面の小石の対称の妙。とても良いインスタレーションだった。
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鈴木孝幸展
2015年9月12日(土)〜10月17日(土)
11:00〜19:00(日月祝休廊)
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ギャラリーαM
東京都千代田区東神田1-2-11 アガタ竹澤ビルB1F
3-5829-9109
http://gallery-alpham.com/
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