『ターバンを巻いた娘』を読んで

 マルタ・モラッツォーニ/千種堅・訳『ターバンを巻いた娘』(文藝春秋)を読む。たぶん新聞の書評で評価が高かったので買ったのだろう。買ってから26年振りに初めて読んだのだった。いや、こんな風に買ってあって読んでない本が1,000冊近くある。死ぬまでにとうてい読み切れるとは思えない。にも関わらずまだ買い続けている。
 『ターバンを巻いた娘』のことだった。5つの短篇からなっている。どれも中世の実在の人物を題材に自由に想像して書いている。名前は明かされないが、モーツァルトだったり、モーツァルトの歌劇の台本作家だったダ・ポンテだったり、フェルメールの作品を売買した商人だったりする。
 単行本の標題にもなった「ターバンを巻いた娘」が一番出来がよかった。大きな事件が起こるわけでもなく、フェルメールの作品を持ったオランダの貿易商人が、デンマークの領主に売りに行くという物語。細部がよく書けていて、それがこの短篇小説を成功させている。全く違う世界なのにどこか須賀敦子の静謐な世界を連想させるのはなぜだろう。
 商人が船旅で運んだフェルメールの「ターバンを巻いた娘」を領主に見せる。作品を見て、領主は「この絵の由来をお話ください。画家のことはまだ何もお話になっていないので、名前も存じておりません」と言う。フェルメールは長い間無名で埋もれていた。

 その晩、御前のほうから寛大に鷹揚に絵の値段を決めてくれたが、御前は、この絵を評価のしようがないほどの逸品だとする点で、商人と意見が一致していた。
「(中略)お客人、あなたが出発なさるのは非常に残念ですし、あなたにとって貴重な品を奪ってしまって、うしろめたいかぎりです。なにしろわれわれのつけた価格以上の値打ち物なのですからな」。

 フェルメールが優れた画家であることに異論はない。だが時代設定として1600年代の末ごろとされているからには、フェルメールが亡くなってまだ数十年も経っていない。その時代にこのような会話がされることはリアリティーがないだろう。
 訳者あとがきによると、本書はイタリアで衝撃的デビューを飾ったとある。そうかもしれないが……。文庫化されていないので、売れ行きは良くなかったのだろう。


ターバンを巻いた娘

ターバンを巻いた娘