秋山画廊の遠藤利克展「空洞説−円い沼」を見る

 東京千駄ヶ谷の秋山画廊で遠藤利克展「空洞説−円い沼」が開かれている(2月28日まで)。遠藤は1950年岐阜県高山市生まれ、1972年名古屋造形芸術短期大学彫刻科卒業。今までドクメンタベネチア・ビエンナーレに出品している。1975年ルナミ画廊で初個展、それ以来国内ばかりでなく海外でも数多くの展示を行っている。



 今回は画廊の左右一杯に大きな木の円い立体作品が置かれている。画廊の入口が床面より少し高くなっているので、この作品が桶のような構造をしていることが見てとれる。円の直径が3m76cm、これは画廊の横幅だ。高さが1m45cmあり、私がかろうじて中を覗き込むことのできる大きさだ。全体に火で焼いてあり、側壁の厚さは10数cmほどもある。覗き込むと中は椀のようになっていて、そこに水が湛えてある。標題のとおり空洞で円い沼が作られている。
 画廊の秋山さんに重さを問うと、よく分からないけど2トントラックで2回運んだとのこと。その存在感は圧倒的でひと目見て引きこまれる。大きな木の造形を火で焼いている。内側の底にタールを塗って水が漏れないようにしているのだろう。焼かれて荒々しい表面を見せているのは、心地よい手触りを拒否して存在感をいっそう際立たせているのではないか。しかし、その荒々しい存在が空洞であるという逆説、しかも内部には水まで湛えている。水は生物が生きるために必須のものだ。
 拒絶と恩恵、するとこれは世界とか地球とかの暗喩なのだろうか。あるいはそんな風に考えることは文学的で、もっと即物的に捉えるものなのか。いや、この形態は決して無機的ではないし、焼いたり水を使ったりしていることからも何らかの意味を内包しているのは事実だろう。ただ、どちらにしても興味深い造形であるのは確かだ。
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 2012年の個展に際して毎日新聞に岸桂子が展評を書いていて、そこにはこうあった。

造形の核は「円環」。作家にとって中心部の空洞は「垂直方向に力が発生し、新たな思考が生まれる磁場」で、「生と死」など、両義的な要素が接近する場としてイメージされてきた。(中略)
(焼いてある)木肌の表情が自然の状態よりも饒舌に表れ、目を見張る。

千駄ヶ谷の秋山画廊の遠藤利克展「空洞説―円環⇔壺」がすばらしい(2012年1月30日)
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遠藤利克展「空洞説―円い沼」
2015年2月2日(月)〜2月28日(土)
12:00−19:00(日曜・祝日休廊)
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〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷3-7-6
TEL/FAX03-3401-9505
http://www.akiyama-g.com/
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