一番大事なものを失くしたら

 山田宏一『新版 映画この心のときめき』は映画評論家山田宏一が1971〜1973年にかけて『キネマ旬報』に連載した映画評をまとめたものだ。ここに紹介されている映画を私はほとんど見ていないが、山田宏一ファンとしてはなかなか楽しい読書だった。さすが映画好きなだけあって、巻末の映画題名の索引も充実している。
 さて、映画評とは直接関係ないのだが、フランスの映画監督ジャン=ピエール・メルヴィルについて触れているところに、ちょっと興味深いエピソードがあった。メルヴィルは『海の沈黙』や『恐るべき子供たち』、『いぬ』『ギャング』、『サムライ』、『仁義』などを監督をしている。1949年にパリの自宅に個人の撮影所を建設した。このスタジオには、撮影から録音、編集にいたるいっさいが整っていたらしい。そのスタジオを1967年に火事で全焼させてしまった。

メルヴィルは、将来の企画もふくめた貴重な資料とともに全財産を失ってしまったわけである。まだ映画化されていなかった22本のシナリオが灰燼と化したということだ。河原畑寧氏によると、メルヴィルのパリのアパルトマンの壁には、「もしあなたが、一番大切な苦心の結晶ともいうべきものを焼いてなくしたら、黙って耐えふたたび作りなさい」というキップリングの詩句を額に入れて飾ってあったとのことである。あのステュディオ・ジェンネルの全焼による心の痛手と絶望は相当深かったにちがいない。なにしろ、この撮影所は、映画作家メルヴィルにとって、自由と独立の象徴であり、彼ひとりの牙城であったのだから。それがすべて灰燼と化したときの彼の絶望を想像するのは、そんなにむずかしくはない。思うに、このとき、ジャン=ピエール・メルヴィルは一度死んでしまったのである。

 キップリングの詩句「もしあなたが、一番大切な苦心の結晶ともいうべきものを焼いてなくしたら、黙って耐えふたたび作りなさい」はとても示唆に富む。人生のエピグラフに掲げよう。
 昔、北陸の県立農業試験場の技師だった人が、長年かけて集めたポルノ写真を、それも種類ごとにきれいに分類していたお宝を家の天袋に隠していたところ、奥さんに見つけられて総て焼却されてしまった。それを知ったときの技師の言葉が強く印象に残った。彼は奥さんを怒ることなく、ひと言「仕方がない、また初めからやり直しだ」と言ったという。その姿勢をこそ学ばねばならない。
 そういえば、魯迅が引用していた「絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じい」という言葉もあったし。


天袋の中のポルノ写真(2009年2月7日)


新版 映画この心のときめき

新版 映画この心のときめき