菊地成孔『ユングのサウンドトラック』を読む

 菊地成孔ユングサウンドトラック』(河出文庫)を読む。副題が「菊地成孔の映画と映画音楽の本」となっており、さらに〈ディレクターズ・カット版〉と謳っている。以前刊行された単行本を大幅に改訂したので、そう謳ったらしい。
 菊地はジャズを主体とした音楽家であり、音楽評論家、服飾評論家でもある。以前読んだ『東京大学アルバート・アイラー』と『服は何故音楽を必要とするのか?』が面白かったので本書を読んだ。全体が4つに分かれていて、まず松本人志監督論、ゴダール論、映画と映画音楽論、最後に文庫版のみ2つの映画評、『セッション』と『バードマン』について書かれた文章が追加されている。
 菊地の文章は過剰に饒舌でところどころ論旨が取りにくいことさえある。冷静に論理的に淡々と語る態度とは真逆な文体だ。前に読んだ2著ではそれが刺激的で引き込まれるほどだったが、本書では同じような文体が今度は読みづらく、なかなか先に進みがたかった。菊地の文体はこんななのだ。

 僕は作品の構想がないまま制作に入り、そのまま完成間近まで行って自殺を試みるほど追いつめられたことがあったし、眼鏡をかけた妻と、爛れた奔放な、勘の良い愛人がいたことがあったし、父親と母親に何か大切なことを問いかけ、彼等が苦しそうにしながら答えをくれずに地中に沈んでいったこともあったし、腐った評論家を磔にしたことがあったし、女たちに囲まれて風呂に入れられたこともあったし、彼女たちを鞭で打ったことも、枢機卿に自分の状態が正しいかどうか尋ね、無益に終わったこともあったし、ロケットの発射台が知らない間に完成していたこともあった。今は新宿の歌舞伎町に住んでいるのだが、一番の理由は伊勢丹というデパートの前が常に地下鉄工事中だからだ。僕はほとんど毎晩そこで映画を撮っている。

 松本人志監督の映画に関する評価はよく分からない。ほめているような貶しているような書き方だが、結論として高く評価しているようなことを書いている。映画の内容の紹介からは面白いようには思えないのだが。
 ゴダールの映画音楽についての論評は教えられることが多かった。あらためてゴダールの映画を見てみたいと思った。
 『バードマン』に関しては、こんなふうに絶賛している。

 若干取り乱しているので、落ち着いて書くことを心掛けますが、さっき20世紀フォックス試写会場で『バードマン』のマスコミ試写を見ました。
 終わってすぐ事務所に戻れず、試写会場の向かいのカフェで、クロックムッシュウでローヌの赤をやり、なるべく落ち着いて書きますが、1990年以降の作品の中では間違いなくベスト1だと思いますし、映画史に残ると思います。まだ感動にクラクラしています。

 こんなふうに言われたら見たくなってしまう。しかし総じて前著の興奮は戻ってはこなかった。まあ、ゴダールと結婚したアンナ・カリーナが浮気をしまくっていたと菊地が書いているのもショックだったのかもしれない。私はアンナ・カリーナのファンで、彼女に棄てられたゴダールがアンナをパリ中探し回ったという山田宏一の文章がいまだトラウマのように心に残っているのだから。


『東京大学のアルバート・アイラー』を読む(2012年7月29日)
『服は何故音楽を必要とするのか?』という不思議な本を読む(2014年12月17日)