顔を洗わない人

 Mさんのご主人が顔を洗わない人だという。朝も、お風呂でも顔を洗ってないようよと言う。じゃあ、と尋ねた。そんな汚い顔としょっちゅう頬ずりしてるの? 彼女、答えに詰まっていた。顔を洗わないと聞いて思い出すのは「整体協会」主催の野口晴哉の『風邪の効用』(ちくま文庫)だ。顔は洗わなくても良いと書いている。

……赤ちゃんに石鹸を使わないという流儀をいろいろな人に勧めていたら、石鹸会社の社長さんから苦情が出たことがありました。まあ営業妨害だといえばそうかも知れないが、石鹸を使ってはいけないと言っているのではない、使い方が問題なのです。私などふだんあまり石鹸を使わないので、油やインクがついても、お湯の中で振るだけでとれてしまう。石鹸で体を洗ったなどということはここ40年1回もない。顔も洗ったことがない。よく顔を水で洗うことを勧められますが、私はいつでもタオルで顔をペロッと拭いてすませてしまう。頭などもあまり洗ったことがない。あまり洗いたがる人がいたので「頭を洗うとよく禿げるそうだね」と言ったらそれっきり洗わなくなってしまった。けれども洗い過ぎるとそういう傾向になることは事実で、それは洗うためにいろいろ余分なものを使うからです。

 野口は「顔も洗ったことがない。/いつでもタオルで顔をペロッと拭いてすませてしまう」と言っている。この『風邪の効用』は題名どおり、風邪は自然の健康法であると説いている。野口は「風邪は治すべきものではない。経過するものだ」と主張する。「自然な経過を乱しさえしなければ、風邪をひいた後は、蛇が脱皮するように新鮮な体になる」と。
 つぎに南米の原住民の例だが、裸で暮らしていた彼らにヨーロッパの宣教師だったかが、洋服を着ることを教えた。ところが彼らは洋服の洗濯までは教わらなかったので、不潔な洋服を着続けて健康を損ない多く病気になってしまった。このエピソードをレヴィ=ストロースの『悲しき南回帰線』で読んだ気がしていたが、探しても見当たらなかった。誰かこの出典を知っていたら教えてほしい。
 私も昔、まだ若かった頃、屋台で夜泣きラーメンを商っていた。その頃、屋台仲間数人とアパートの大部屋で共同生活をしていた。私ともう1人が風呂へは月に1回くらいしか行かなかった。たまに入ると石鹸を使っても3回目までは泡が立たなかった。それでも毎日平気だった。何の痛痒も感じなかった。今は毎日入浴しないと気持ちが悪いが。要するにどっちにしろ慣れにすぎないのだ。


風邪の効用 (ちくま文庫)

風邪の効用 (ちくま文庫)