『江戸の神社・お寺を歩く[城東編]』を読む

 黒田涼『江戸の神社・お寺を歩く[城東編]』(祥伝社新書)を読む。城東地区に残る江戸時代に作られ今も残っている寺社が1,600、そのほとんどを訪れそのうち約570の寺社を紹介している。これはすごいことだ。紹介した寺社には最低2回、多いところは10回以上取材しているという。
 本書は江戸時代に作られた寺社を紹介し、読者が実際に訪れるためのガイドブックという位置づけをしている。そのため、それぞれの場所を訪うための道順などは実にていねいに記述している。コンビニの横の路地を入っていくとか、道路を反対側に渡って次の角を右に入るとか、それを掲載したすべての寺社について書いている。地図も付され、まず迷うことはないだろうと思われる。
 ただ、その代わり取り上げられている寺社の歴史や縁起などについては簡単にしか触れられていない。それは仕方ないことだろう。現状でも新書で332ページもあるのだ。個々の寺社の歴史等については、別の参考書を参照すればよいだろう。
 取り上げたすべての寺社について、寺社名のあとに★印がついている。これは訪れる優先順位の目安だそうで、[★★★]は「ぜひ」、[★★]は「おすすめ」、[★]はそれ以外とのこと。ちなみに★3つは66の寺社に付されていた。
 私の住む墨田区の「向島地区」のコースは、東武曳舟駅から出発して、東武亀戸線小村井駅まで14km歩いて32の寺社を訪れるというもの。端折って★3つの寺社のみでも6つある。それは、牛嶋神社、三囲神社、長命寺、子育地蔵尊、吾嬬神社、香取神社となる。その吾嬬神社を紹介する部分、

 最初の橋(福神橋)の手前に吾嬬神社[★★★]があります。日本武尊(やまとたける)の東征の際、妻の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)は自分の身を犠牲にして海を鎮め夫を救いました。このあたりに弟橘媛命の衣が流れ着いたので、塚を築いて納めたと言います。江戸のころ、あたりは周囲よりやや土地が高く、豊かな森だったそうです。伝説からして、古墳がありそうですね。今も社殿の場所はかなり周囲より高いです。日本武尊が刺した箸から育ったという連理のクスノキがありましたが、今は枯れています。社殿後ろの狛犬は、江戸時代の日本橋の海運・漁業関係者の寄進で造られ、その成り立ちから神社が水上で働く人たちの信仰を集めていたことがわかります。

 吾嬬神社は縄文時代、少なくとも弥生時代まで遡ると推測されている。神社は古墳でもある。以前、このブログでも紹介した。
吾嬬神社(2006年12月24日)