熊谷守一美術館の高山良策展を見て



 熊谷守一美術館3階ギャラリーで展示されている高山良策展を見た。またこれに関連して平塚市美術館館長代理の土方明司さんの講演「高山良策の生涯と作品」が開かれ、それも聴講した。講演は土方が練馬区美術館の学芸員の頃高山良策展を企画したこともあって、簡にして要を得たものだった。
 高山良策は1917年に山梨県に生まれた。父は大工の棟梁だったが、家は貧しくて尋常高等小学校を卒業して上京し製本店に住み込みで働いた。1938年から1940年まで中支方面に出征した。復員後福沢一郎研究所で学ぶ。戦後池袋アトリエ村に住む。1947年、美術文化協会から分かれた左翼的な前衛美術会創立に参加する。主な会員は、指導的な大塚睦、入江比呂、山下菊二、尾藤豊、中村宏桂川寛など。ほかに理論家として吉本隆明三浦つとむなどがいた。
 1951年から雑誌、絵本、テレビの特撮用模型の制作等に携わる。1965年から10年近く円谷プロの怪獣制作に関わる。大魔神ウルトラマンウルトラセブン、怪獣ブースカなどの立体模型を手がける。
 1974年、怪獣制作の仕事を抑制し、以後絵画制作に没頭する。1982年、肝臓癌のため死去。享年65歳。
 土方が用意した作品写真をプロジェクターで見る。高山良策について一応のことが分かった。以前、遺作展もアートギャラリー環で見ていたと思う。
 さて、高山良策の作品は、前衛美術会の会員の山下菊二、中村宏と比べて一歩を譲ると言わざるを得ない。桂川寛と同等だろう。残念だが仕方ない。山下菊二も中村宏も水準以上の画家なのだ。
 高山良策展が開かれている熊谷守一美術館3階ギャラリーは、豊島区立とはいえ狭く、切ないほどのスペースだった。昨年の桂川寛展もこのスペースで行われたのだった。
 ただ、豊島区の担当の方によると、豊島区西部区民事務所がある小学校の跡地に、4年後には豊島区立美術館ができる予定とのこと。先日住民への説明会が開かれたという。美術館では池袋モンパルナスゆかりの画家たちの作品を収蔵したいとのことだった。楽しみがまたできたのだった。
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日本画廊の山下菊二展(2010年7月17日)
門田さんが紹介する入江比呂(2009年11月30日)