武蔵野市立吉祥寺美術館の「われわれは〈リアル〉である」を見る


 武蔵野市立吉祥寺美術館で「われわれは〈リアル〉である」という展示が開かれている(6月29日まで)。副題が「1920s−1950s プロレタリア美術運動からルポルタージュ絵画運動まで:記録された民衆と労働」というもの。
 パンフレットの「開催にあたって」から、

 この展覧会では、1920年代から1950年代までという比較的長い期間の美術・文化的動向を展望することになります。民衆運動の高まり、関東大震災、戦時体制への突入、そして敗戦とその後の混乱という激動を経験したこの時代。切迫した社会的状況の下、それぞれの時期において異なる目的や社会的要請を背負いながら、民衆とその労働の姿を〈リアル〉に描くという動きがあらわれていたことに目を向け、その意味を探ってみたいと思います。
 このような観点から、本展では主に、戦前のプロレタリア美術運動、戦争美術、戦後のルポルタージュ美術運動とよばれる動きをたどることとなります。いずれも特定の政治的思考と密に関わったものであったこと、現存作例が限られていること、また、〈戦争画〉の評価や展示を巡っては、未だ議論が慎重になされている途上だという状況、その他様々な理由から美術展として正面から取り上げられる機会はあまりなかったというのが実情です。本展は、これらの各動向を肯定/否定することを目的としてはいません。(中略)本展では、民衆と美術がこれまでになく接近したこの時代を見通し、その時なぜ民衆が描かれたのか、なぜ〈リアル〉が目指されたのかを問うことで、同時期、美術が社会において求められた役割や、その関連性についてあらためて考える、ささやかなきっかけとなることを目指しています。(後略)

 たしかに「正面から取り上げられる機会はあまりなかった」のだ。昨年神奈川県立近代美術館 葉山で開かれた「戦争/美術1940-1950」展も、戦前から戦後の美術史を「連続」という視点で構成したもので、戦争を挟んだ時代を通時的に見たとき、意外にも戦前のモダニズムが戦後に連続していることを証すことに重点が置かれ、戦争に対する批判的視点や、戦後の民衆運動に寄り添った視点は採られていなかった。
 本展は「プロレタリア美術運動とその時代」「戦争と民衆 戦争画と勤労・増産絵画」「戦後、ルポルタージュへ」の3つの区分から構成されている。プロレタリア美術運動では、雑誌やポスターなどが主体で、柳瀬正夢などが取り上げられている。戦争と民衆では、清水登之や江藤純平、須山計一、そしてここでも雑誌が多く取り上げられている。アメリカに押収されてのち永久貸与として戻された東京国立近代美術館が管理する「戦争画」は残念ながら並べられていない。
 充実しているのが戦後の項目だ。浜田知明の初年兵哀歌シリーズ、池田龍雄桂川寛、尾藤豊、中村宏鈴木賢二、利根山光人、高山良策が並んでいる。飯田善國の珍しいリアリズム絵画を見ることができる。尾藤と中村の類似が面白かったが、お互いに影響しあっていたということだろうか。桂川は不器用だがストレートで強い印象を与える。浜田を除いてルポルタージュ絵画という括りで共通している。
 この武蔵野市立吉祥寺美術館へは初めて行った。こんな美術館があることも知らなかった。12年前に設立されていたというのに。当時伊勢丹デパートの一隅に作られたが、伊勢丹が撤退して現在はコピス吉祥寺A館というビルになっている。武蔵野市立という割りには小さなスペースだ。常設室として浜口陽三記念室が設置されている。なぜ浜口かと訊くと、設立当時の市長が浜口と親交があったからだとのこと。
 本展のパンフレットについて、重箱の隅をつつくと、ノンブルが表2を1ページとしている。だから見開きページで若い数字が奇数になってしまっている。これは表紙を1ページとするか、表紙を除いてノンブルを振るかしなければいけない。見開きは常に若い数字が偶数であるのが規定なのだ(と、えっらそうに言う)。
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「われわれは〈リアル〉である」
2014年5月17日(土)−6月29日(日)
10:00−19:30(休館日 5/28、6/25)
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東京都武蔵野市吉祥寺本町1-8-16 FFビル(コピス吉祥寺A館)7階
電話0422-22-0385
http://www.musashino-culture.or.jp/a_museum/
JR中央線京王井の頭線 吉祥寺駅北口徒歩約3分