「先生とわたし」を読む

 四方田犬彦「先生とわたし」(新潮社)を読んだ。これは4年前の2007年に単行本として発行されたが、当時の書評で四方田は「先生」を見下して、自分の顕彰のために書いているなどとあったので、あえて手に取ることをしなかった。それが最近読んだ四方田の著作「ゴダールと女たち」「音楽のアマチュア」があまりにも良かったので、あらためて読んでみる気になった。これがとても良かった。
 先生というのは四方田が東大駒場で学んだ英文学者の由良君美(ゆらきみよし)のことだ。2年のときに由良が「メルヘンの論理」という全学ゼミを開講すると学生を募集した。100人が応募したので選抜試験が行われた。その時の問題は、「赤塚不二夫の漫画がコピーされていて、この漫画のどこがどう面白いかを分析せよ」というものだった。試験の結果、四方田は8人のゼミ生の中に選ばれる。由良のゼミはユニークで魅力的なもので、四方田は由良の「背後に横たわっている知識と膨大な読書量、さらにどこか斜に構えたかのようなものいいに、すっかり魅惑されてしまった。」
 四方田犬彦高山宏とともに由良君美のお気に入りの学生になる。四方田は3年になるに当たって本郷で宗教学を選ぶ。そこを卒業した後、駒場比較文学比較文化の大学院へ入る。その後はソウルの建国大学校で日本語の客員教授を務める。
 そしていつの間にか四方田と由良の関係がよそよそしいものになっていく。久しぶりに会ったバーで酔った由良に突然殴られたりする。四方田にはその理由が分からない。二人に和解が訪れないまま由良が亡くなる。
 四方田は何があったのかを考える。本書で間奏曲として記されるのが、由良と四方田とは直接に関係のないジョージ・スタイナー「師の教え」と山折哲雄「教えること、裏切られること」をめぐる師弟論だ。
 四方田は書きにくいことを書かねばならない。だから筆が逡巡する。しかし由良の四方田への根拠のない様々な攻撃は嫉妬からだったのだ。師の境界を離れての弟子の活躍への羨望と嫉妬。それはすでに多くの弟子を育てた四方田も経験していることだった。
 これらのことを指して、四方田が師を見下したなどと批判されたのだ。何というバカな読み方だろう。四方田の由良への敬愛と尊敬は誰もこれを疑うことはできない。優れた評伝だ。とても良い読書経験だった。このところ四方田犬彦の著書に裏切られたことがない。
 私もこんな風な師の評伝が書ければいいのだが。


先生とわたし (新潮文庫)

先生とわたし (新潮文庫)