日本とフランスの植民地統治の違い

 日本とフランスの植民地統治の違いについて、四方田犬彦が『モロッコ流謫』(ちくま文庫)に書いている。

 わたしは旧日本帝国が20世紀の前半に植民支配していたアジアの地域を旅行するたびに、そこで日本的なるものが一度ならず強い嫌悪と克服の対象とされていることを、しばしば思い知らされている。韓国のソウルは、かつて日本が建てた近代建築を取り壊すことに懸命であり、上海では占領時代に付けられた地名を口にする者など一人もいない。だが、それにつけても感心するのが、リヨテ(総督=モロッコの統治者)によるモロッコ統治のしたたかさであって、彼の墓は、今でこそパリの廃兵院(アンバリッド)に置かれているが、それまではフランス人であるにもかかわらず、長い間さながら聖人の廟ででもあるかのように荘厳に、首都ラバトに置かれていた。モロッコの都市生活者の多くは、フランス人が建設した新市街に住み、その生活を享受しているし、知識層の日常生活のなかにはフランス語が深くにまで浸透している。フェズの保護条約(モロッコがフランスの保護下に入るという条約)の締結は、1910年の日韓併合のわずか2年後であり、モロッコの1956年の独立は朝鮮半島での日本統治の終る11年後である。日本とフランスの植民地統治には、期間にしてわずか9年の違いしかない。にもかかわらず韓国とモロッコ旧宗主国に見せる態度の違いは、日本の植民地統治がいかに付焼刃の、底の浅いものであったかを物語るとともに、リヨテという異端の総督の悪魔的な天才ぶりをも証明しているといえる。

 日韓併合は1910年、韓国の独立は1945年で、統治期間は35年間だった。同じく日本の台湾の統治は50年間だった。四方田の指摘する日本の植民地統治のおそまつさは、植民地経営の歴史の浅さによるものなのか、あるいは日本人の文化の根本的な問題なのか。
 四方田には卓抜な韓国紀行『ソウルの風景 -- 記憶と変貌』(岩波新書)があるので、その主張にはきわめて説得力がある。



ソウルの風景―記憶と変貌 (岩波新書)

ソウルの風景―記憶と変貌 (岩波新書)