先に紹介した佐野眞一「甘粕正彦 乱心の曠野」(新潮文庫)で甘粕正彦は、武藤富雄を相手に日本の歴史上の人物で嫌いな人物、好きな人物を挙げている。嫌いなのは菅原道真と乃木大将で、好きな人物は悪源太義平だという。
菅原道真は左大臣まで昇進したが、太政大臣まで昇進したくて猟官運動をやった。ところがそれに失敗して藤原時平のために官を追われ、筑紫に流されることになった。道真はそのときも宇田上皇にすがって留任運動をやった。君しがらみとなりて止めよ、というのはそのときの歌です。袞龍(こんりょう)の袖に隠れて自分の地位を守ろうとしたのです。陛下を自分のために利用する近ごろの政治家によく似ているではありませんか。ところがこれにも失敗して筑紫に流されることになった。その時も、駅長悲しむなかれ、時の変わり改むるを、と泣き言をこぼしている。筑紫に流されてから詠んだ歌も、国を思い天子を思うより、己を主にしている。秋思の詩篇独り断腸、恩賜の御衣なおここにありなどと、自分中心の態度です。
もう一人の嫌いな乃木大将に対しては、
「……あの人はいまの時代なら大佐までしかなれない人物です」とばっさり斬って捨てた。
乃木を批判する意見は少なくないだろう。しかし菅原道真を否定する意見は少数派だ。九州の太宰府にある太宰府天神をはじめ亀戸天神、湯島天神、そのほか数々の天神様は皆菅原道真を祭って、学問の神様ということになっている。戦さの神である香取神社が現在スポーツの神と称しているように、これは本来の姿ではない。古田武彦によれば、天神はもともと九州王朝の神で、文字どおり「天」の神に他ならない。天つ国の神であり、そこへ菅原道真が合祀されて、後にそれを乗っ取り学問の神と称されるようになったのだ。
ここに出てきた武藤富雄は甘粕について、
「自分は大杉事件に疑いをもちはじめ、新聞報道や人の噂で人物を推量していたことの誤りを悟った。甘粕は『人物は来りて見よ』の典型だった」と述懐している。
そして戦後べ平連を立ちあげた武藤一羊の父が武藤富雄とのことだった。
- 作者: 佐野眞一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/10/28
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