2014年の初詣

 初詣に行った。
 初めに吾嬬神社。御祭神は弟橘媛(おとたちばなひめ)、日本武尊(やまとたける)の妃だ。弟橘姫を祭るので吾嬬神社(吾嬬=わが妻)。東京でももっとも古い神社のひとつだが、元旦の午前9時ころ、参拝客は誰もいなかった。

 以前紹介した吾嬬神社についてのエントリー。
吾嬬神社(2006年12月24日)

 吾嬬神社について、黒田涼『江戸の神社・お寺を歩く[城東編]』(祥伝社新書)に次のように紹介されている。★印は訪れる優先順位の目安だそうで、[★★★]は「ぜひ」とのこと。

 最初の橋(福神橋)の手前に吾嬬神社[★★★]があります。日本武尊(やまとたける)の東征の際、妻の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)は自分の身を犠牲にして海を鎮め夫を救いました。このあたりに弟橘媛命の衣が流れ着いたので、塚を築いて納めたと言います。江戸のころ、あたりは周囲よりやや土地が高く、豊かな森だったそうです。伝説からして、古墳がありそうですね。今も社殿の場所はかなり周囲より高いです。日本武尊が刺した箸から育ったという連理のクスノキがありましたが、今は枯れています。社殿後ろの狛犬は、江戸時代の日本橋の海運・漁業関係者の寄進で造られ、その成り立ちから神社が水上で働く人たちの信仰を集めていたことがわかります。


 吾嬬神社近くの福神橋から東京スカイツリーを見る。自宅のベランダから見るよりだいぶ近い。

 そこから江東区香取神社はすぐ近い。戦前の江東区第一の神社。創立は天智天皇4年(665年)というからもう1350年近く経ったことになる。本来はいくさ=戦争の神だが、最近は流行らないのか、スポーツの神として売り出されている。吾嬬神社に比べれば参拝客は少なくないが、それでもこの程度。御祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)。

 そこから歩いて5分ほどで亀戸天神に着く。亀戸天神菅原道真を祭っている。一昨年が御鎮座350年大祭とあったから、創立は1662年ということになる。江戸時代中期というところか。案外に新しい。初詣のほか、受験生が合格祈願に参拝する。午後になると参拝客が集中し、太鼓橋が狭くて危険だというので参道が通行規制される。

 亀戸天神をあとにして墨田区へ戻る。江東区との区境になる北十間川を渡るが、小さなその橋のたもとにこれまた小さな祐天堂がある。元禄年間に祐天上人がこの付近の川に多くの水死者があるのを見て、供養したことを記念して建てられたものだとのこと。
 祐天堂の左下にビニールで包まれた石の道標がある。正面に「木下川 やくしみち」と彫られていて、ここ境橋から木下川薬師堂(葛飾区四つ木一丁目)へ至る木下川薬師道(現在の仲居堀通り)を示すものだという。
 道標の左側面には「あつまもり」と彫られている。あつまもりとは吾嬬神社を指している。境橋を渡って右手に折れ、北十間川沿いに200メートルくらいで上述の吾嬬神社に戻ることになる。

 境橋を渡ってスーパーのオリンピックを左に見て直進すれば、墨田区香取神社に着く。平安末期創立。江戸時代近くに有名な小村井の梅園「梅屋敷」があった。広重の浮世絵にもなっている。それでそう広くはない境内にたくさんの梅を植えている。御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。梅園の梅はまだ蕾が固く、やっと1輪紅梅が咲いていた。

 途中、陽当たりの良いマンションの前のプランターにパンジーも咲いていた。